いよいよ最終日。わざわざ室蘭を選んで泊まったのには理由がありました。それは、地球岬の日の出を見るためでした。
今の時期4時半前が日の出の時刻ということで、タクシーを呼んで岬に向かいました。
しかし、夏は海水温が高くなかなか水平線から昇る朝日を見ることはできないと聞いていたとおりもやがかかりよく見えませんでした。
かろうじて、雲を通して昇ってきた太陽を見ることができました。
徐々に晴れてきたようなので、もう少しもう少しと待ったのですが、なかなか晴れてきません。タクシーを待たせていたので、ホテルに戻ることにしました。
第18列車 室蘭本線 普通 東室蘭行 乗車距離7.0km
室 蘭 08:34発
母 恋 08:36着 08:36発
御 崎 08:40着 08:40発
輪 西 08:43着 08:43発
東 室 蘭 08:47着
地球岬の電話ボックスにあったものと同じような鉄製の地球のオブジェが室蘭駅前にも。さすが鉄の町室蘭。
室蘭からは、8時34分発室蘭本線普通東室蘭行に乗ります。この頃になる雲一つなく青空が広がっていました。地球岬からの景色はさぞや絶景でしょう。
室蘭駅を出て短いトンネルを過ぎると、母恋駅に停車。「母恋」という漢字から、ここ の入場券は母の日のプレゼントに人気とか。
そしてもう一つ「母恋めし」。室蘭港に隣接するレジャー施設エンルムマリーナにある喫茶店「ブロートン99」が製造し、母恋駅売店を借りて販売していることから、駅弁として人気が出てきました。
「母恋」の地名の由来は諸説ありますが、アイヌ語の「ポクセイ・オ・イ」(ホッキ貝のたくさんあるところ)とも言われることから、弁当の中身は、ホッキガイの炊き込みご飯のおにぎり2個、燻製卵、スモークチーズと漬物がつき、小分けされ列車内でも食べやすいように工夫されているそうです。但し、手作りのため、一日限定15~40食と少なく、駅弁大会など手は手に入れることができないものです。
母恋駅から御崎駅、輪西駅とSの字を下から書くように、左手に工場地帯を見ながら進みます。
途中御崎駅を出ると左手に蒸気機関車が見えました。
調べてみるとこの蒸気機関車はS―205号(Bタンク)機関車といって昭和14(1939)年に、工場専用線向けに日本車輌で作られた産業用機関車です。同時に作られたS―304号(Cタンク)機関車とともに、主に日本製鉄輪西製鉄所(後の新日本製鐵室蘭製作所)、さらに鐵原(株)室蘭コークスで活躍しました。
日本での蒸気機関車の最後の日というと、昭和50(1975)年12月14日の室蘭本線の旅客列車、その10日後の夕張線の貨物列車、翌年3月2日の追分駅の入換ですが、このような国鉄の蒸気機関車の運用が終わった後、昭和57(1982)年12月26日まで働いた蒸気機関車です。
車窓から見ることができるのはテツゲン室蘭支店に保存されている、S―205号機関車です。なお、S-304号機関車は、客車を牽引するための改造が行われたものの、現在三笠市の「三笠鉄道村」に動態保存されているそうです。
輪西駅を出ると、左手に高架化された国道36号・室蘭新道が平行し、それが分かれるとJR貨物の鷲別機関区輪西派出が見えます。
ここは、JR貨物が保有するコンテナ車や有蓋車、JR北海道が保有する貨車の全般検査を担当するJR貨物の車両工場です。ここを過ぎると、間もなく終点8時47分東室蘭駅に着きました。
東室蘭駅のキオスクで買い物をするために予定した列車より1本早いので出てきたので、次の列車まで、1時間18分の待ち合わせ。
早速キオスクへ。ありました、「母恋めし」。この弁当を手に入れるのが最大の目的でした。
ホッキをふんだんに使って、椎茸と合わせた炊込みご飯のおにぎり2個(上)・縄文模様を付けたスモークチーズ(中・左)・長なすの漬け物(中・中)・燻製卵(中・右)・ハッカ飴(下)
第19列車 室蘭本線 普通 長万部行 乗車距離77.2km
東 室 蘭 10:05発
本 輪 西 10:10着 10:11発
崎 守 10:16着 10:17発
黄 金 10:20着 10:20発
稀 府 10:25着 10:26発
北 舟 岡 10:29着 10:30発
伊達紋別 10:33着 10:34発
長 和 10:38着 10:38発
有 珠 10:44着 10:44発
洞 爺 10:50着 10:51発
豊 浦 10:57着 11:12発
大 岸 11:19着 11:20発
礼 文 11:25着 11:26発
小 幌 11:34着 11:34発
静 狩 11:41着 11:42発
長 万 部 11:53着
東室蘭駅から函館駅を目指します。乗る列車は、10時5分発長万部行普通列車。長万部行キハ40型と途中豊浦までのキハ150型の2両編成での出発です。
東室蘭駅を出ると左手に室蘭港と新日鉄住金の製鉄所を見ながら進みます。
本輪西駅は、鉄道で石油輸送をするためのJR貨物の駅もありホームの無い線路が何本もありました。一方、JR北海道の本輪西駅は、今年度から完全無人駅となりました。
本輪西駅から、トンネルをいくつか通ると、トンネルとトンネルに挟まれた高架駅。とは言っても駅舎も待合室も無い崎守駅に着きます。黄金駅とJR貨物陣屋町駅間の複線化とカーブ解消のための線路付替えに伴いできた駅のためこのような構造になっているようです。
崎守駅からトンネルを抜けると黄金駅です。
駅舎側ホーム島式ホームを結ぶのは跨線橋ではなく、ホーム中程の警報器と遮断棹のある構内踏切で連絡しているようです。
次の稀府駅までで一旦複線区間が終わります。
この辺は、内浦湾沿いに線路が延びています。特に、次の北舟岡駅は北海道で一番海に近い駅と言われています。
1番線のホームは海に面していて、列車も左側通行の原則からすれは、長万部方面に向かう上り列車は左側の1番線を使うのですが、ここでは列車交換が無ければ、上り下りの列車は山側の2番線を使います。なので、車窓から波打ち際を見ることはできないのが残念です。
北舟岡駅を出てしばらくは海岸線に沿って進み、市街地に入ると、亘理伊達氏当主・伊達邦成とその家臣団が、明治3(1870)年に入植したことから付けられた伊達。駅名は、紋別駅1900年(明治33年)に伊達村となる前の地名が紋鼈(もんべつ)だったため、字を紋別と変えて伊達と併せ「伊達紋別」という駅名にしたそうです。
伊達紋別駅のホームには、金色の細い月形の前立が印象的な伊達政宗の兜を模した巨大なものが。
伊達紋別駅を過ぎ、北海道電力伊達発電所の煙突が見えてくると間もなく、長和駅。発電所敷地内には、北海道電力初の太陽光発電所「伊達ソーラー発電所」が建設され、最近運転を開始したと聞いていました。
北海道の地名・駅名の語源には、アイヌ語に由来するものや入植者に関係するものが、本州に比べて大変多いのですが、ここ「長和」の地名も以前はアイヌ語の「オサル・ウン・ペッ」(河口に葭の原がある川)に由来する「長流」(おさる)の名で、駅名も同じでしたが、修学旅行で学校名・地名を聞かれるときに「おさる」が「お猿」を想像させることから、毎日利用する駅が「お猿」では嫌だという中学生による改称運動が起こり、昭和34(1959)年に地名も含めて現在の「長和」に改称されたというちょっと変わった駅です。
石積みのホームが残る長和駅から、有珠山を望むことができます。
長和駅から次の有珠駅までは再び複線区間になります。
有珠駅の駅舎は、今まで通ってきた稀府駅、長和駅の駅舎と同じ時期に改築されたようで、何となく作りが似ていました。
有珠駅を出ると、有珠山の真横を4キロほど離れて進むのですが、林の中の切り通しを進むため、眺めはよくありません。
途中、北入江信号場を通過します。
ここは単線区間で単純に行き違いするための信号場なので、一線スルーという構造で、線路は線路は上下2本あるのですが、海側の線路は待避線でのため、列車の交換や追い抜きがない限り、上下線とも山側の線路を通過します。ここは過去に2度ほど廃止されましたが、三度復活した信号場です。
北入江信号場を過ぎ右左にカーブして進み、市街地が開けてくると洞爺駅です。名前の通り洞爺湖の玄関口の駅です。ここから終点長万部駅までは複線区間になります。
次の豊浦駅では15分間の停車です。この間に2両目を切り離し、11時14分発の下り東室蘭行の準備をし、上り特急北斗8号函館行に先を譲ります。
豊浦駅周辺はそんなに開けてはいないように見えますが、室蘭方面への豊浦発の普通列車も何本か設定されています。
洞爺駅から礼文駅手前までは、地図上では海岸線に沿って走るので、一見景色を楽しめそうですが、複線化に伴いいくつものトンネルがあるため、トンネルとトンネルの間に駅があるという感じで進みます。それでも、大岸駅を過ぎると海岸線が見え、茶津岬の長さ97mの新達古武トンネルを抜けると、礼文華海岸にある「カムイチャシ史跡公園」が見えてきます。
カムイチャシとはアイヌ語で「神のとりで」という意味で、駐車場からが階段を登ると、噴火湾を一望できるところに砦が原形のまま残されている史跡だそうです。
再びトンネルに入り、そこを出ると一旦海岸線から離れ、礼文駅に着きます。ここの駅舎も有珠駅と同時期に作られたようで、雰囲気が似ています。
礼文駅を出ると列車は登り始めます。そして、新礼文華山トンネルを抜けると、秘境駅として知られる小幌駅に着きます。
駅自体、上り線で言えば新礼文華山トンネルと幌内トンネルのほんのちょっとの間にあり、海岸に降りる草木が茂っている道しか無く、もちろん人家も無いところ。利用者は、保線作業員か釣り人ということでした。この日も4人の保線作業員が乗ってきました。
小幌駅から静狩駅までは、上下のトンネルが離れていて数は違うものの、ほとんどトンネルと言っていいほどです。トンネルを抜けると上下線が一緒になって静狩駅に着きます。
地名の由来は、アイヌ語の「シリ・トゥカリ」(山の手前)。長万部方面から海岸線伝いに北上すればちょうどここで礼文華にぶつかる「山の手前」です。
保線の詰め所でもあるのか、小幌から乗った4人はここで降りていきました。
静狩駅を出て、右から国道37号がオーバークロスすると、長万部に向けて並行して走ります。
そして、国道5号とオーバークロスすると終点長万部駅に着きます。
長万部駅到着は11時53分。ちょうど下り特急スーパー北斗7号札幌行に昼食用に注文を受けた「かにめし」と「もりそば」を届けたのでしょう、従業員の方が跨線橋を渡って帰るところでした。
次の列車は、長万部駅13時28分発の函館行になります。1時間半ほどあるので私たちもここで昼食となります。
昨年探しても見つけることができなかったピザ屋さんに行きます。
つづく
今の時期4時半前が日の出の時刻ということで、タクシーを呼んで岬に向かいました。
しかし、夏は海水温が高くなかなか水平線から昇る朝日を見ることはできないと聞いていたとおりもやがかかりよく見えませんでした。
(天気が良ければ…)
かろうじて、雲を通して昇ってきた太陽を見ることができました。
徐々に晴れてきたようなので、もう少しもう少しと待ったのですが、なかなか晴れてきません。タクシーを待たせていたので、ホテルに戻ることにしました。
第18列車 室蘭本線 普通 東室蘭行 乗車距離7.0km
室 蘭 08:34発
母 恋 08:36着 08:36発
御 崎 08:40着 08:40発
輪 西 08:43着 08:43発
東 室 蘭 08:47着
地球岬の電話ボックスにあったものと同じような鉄製の地球のオブジェが室蘭駅前にも。さすが鉄の町室蘭。
室蘭からは、8時34分発室蘭本線普通東室蘭行に乗ります。この頃になる雲一つなく青空が広がっていました。地球岬からの景色はさぞや絶景でしょう。
室蘭駅を出て短いトンネルを過ぎると、母恋駅に停車。「母恋」という漢字から、ここ の入場券は母の日のプレゼントに人気とか。
そしてもう一つ「母恋めし」。室蘭港に隣接するレジャー施設エンルムマリーナにある喫茶店「ブロートン99」が製造し、母恋駅売店を借りて販売していることから、駅弁として人気が出てきました。
「母恋」の地名の由来は諸説ありますが、アイヌ語の「ポクセイ・オ・イ」(ホッキ貝のたくさんあるところ)とも言われることから、弁当の中身は、ホッキガイの炊き込みご飯のおにぎり2個、燻製卵、スモークチーズと漬物がつき、小分けされ列車内でも食べやすいように工夫されているそうです。但し、手作りのため、一日限定15~40食と少なく、駅弁大会など手は手に入れることができないものです。
母恋駅から御崎駅、輪西駅とSの字を下から書くように、左手に工場地帯を見ながら進みます。
途中御崎駅を出ると左手に蒸気機関車が見えました。
調べてみるとこの蒸気機関車はS―205号(Bタンク)機関車といって昭和14(1939)年に、工場専用線向けに日本車輌で作られた産業用機関車です。同時に作られたS―304号(Cタンク)機関車とともに、主に日本製鉄輪西製鉄所(後の新日本製鐵室蘭製作所)、さらに鐵原(株)室蘭コークスで活躍しました。
日本での蒸気機関車の最後の日というと、昭和50(1975)年12月14日の室蘭本線の旅客列車、その10日後の夕張線の貨物列車、翌年3月2日の追分駅の入換ですが、このような国鉄の蒸気機関車の運用が終わった後、昭和57(1982)年12月26日まで働いた蒸気機関車です。
車窓から見ることができるのはテツゲン室蘭支店に保存されている、S―205号機関車です。なお、S-304号機関車は、客車を牽引するための改造が行われたものの、現在三笠市の「三笠鉄道村」に動態保存されているそうです。
輪西駅を出ると、左手に高架化された国道36号・室蘭新道が平行し、それが分かれるとJR貨物の鷲別機関区輪西派出が見えます。
ここは、JR貨物が保有するコンテナ車や有蓋車、JR北海道が保有する貨車の全般検査を担当するJR貨物の車両工場です。ここを過ぎると、間もなく終点8時47分東室蘭駅に着きました。
東室蘭駅のキオスクで買い物をするために予定した列車より1本早いので出てきたので、次の列車まで、1時間18分の待ち合わせ。
早速キオスクへ。ありました、「母恋めし」。この弁当を手に入れるのが最大の目的でした。
ホッキをふんだんに使って、椎茸と合わせた炊込みご飯のおにぎり2個(上)・縄文模様を付けたスモークチーズ(中・左)・長なすの漬け物(中・中)・燻製卵(中・右)・ハッカ飴(下)
第19列車 室蘭本線 普通 長万部行 乗車距離77.2km
東 室 蘭 10:05発
本 輪 西 10:10着 10:11発
崎 守 10:16着 10:17発
黄 金 10:20着 10:20発
稀 府 10:25着 10:26発
北 舟 岡 10:29着 10:30発
伊達紋別 10:33着 10:34発
長 和 10:38着 10:38発
有 珠 10:44着 10:44発
洞 爺 10:50着 10:51発
豊 浦 10:57着 11:12発
大 岸 11:19着 11:20発
礼 文 11:25着 11:26発
小 幌 11:34着 11:34発
静 狩 11:41着 11:42発
長 万 部 11:53着
東室蘭駅から函館駅を目指します。乗る列車は、10時5分発長万部行普通列車。長万部行キハ40型と途中豊浦までのキハ150型の2両編成での出発です。
(豊浦までのキハ150型)
東室蘭駅を出ると左手に室蘭港と新日鉄住金の製鉄所を見ながら進みます。
本輪西駅は、鉄道で石油輸送をするためのJR貨物の駅もありホームの無い線路が何本もありました。一方、JR北海道の本輪西駅は、今年度から完全無人駅となりました。
(室蘭港を挟んで測量山を望むことができる本輪西駅。)
本輪西駅から、トンネルをいくつか通ると、トンネルとトンネルに挟まれた高架駅。とは言っても駅舎も待合室も無い崎守駅に着きます。黄金駅とJR貨物陣屋町駅間の複線化とカーブ解消のための線路付替えに伴いできた駅のためこのような構造になっているようです。
崎守駅からトンネルを抜けると黄金駅です。
駅舎側ホーム島式ホームを結ぶのは跨線橋ではなく、ホーム中程の警報器と遮断棹のある構内踏切で連絡しているようです。
次の稀府駅までで一旦複線区間が終わります。
この辺は、内浦湾沿いに線路が延びています。特に、次の北舟岡駅は北海道で一番海に近い駅と言われています。
1番線のホームは海に面していて、列車も左側通行の原則からすれは、長万部方面に向かう上り列車は左側の1番線を使うのですが、ここでは列車交換が無ければ、上り下りの列車は山側の2番線を使います。なので、車窓から波打ち際を見ることはできないのが残念です。
北舟岡駅を出てしばらくは海岸線に沿って進み、市街地に入ると、亘理伊達氏当主・伊達邦成とその家臣団が、明治3(1870)年に入植したことから付けられた伊達。駅名は、紋別駅1900年(明治33年)に伊達村となる前の地名が紋鼈(もんべつ)だったため、字を紋別と変えて伊達と併せ「伊達紋別」という駅名にしたそうです。
伊達紋別駅のホームには、金色の細い月形の前立が印象的な伊達政宗の兜を模した巨大なものが。
伊達紋別駅を過ぎ、北海道電力伊達発電所の煙突が見えてくると間もなく、長和駅。発電所敷地内には、北海道電力初の太陽光発電所「伊達ソーラー発電所」が建設され、最近運転を開始したと聞いていました。
北海道の地名・駅名の語源には、アイヌ語に由来するものや入植者に関係するものが、本州に比べて大変多いのですが、ここ「長和」の地名も以前はアイヌ語の「オサル・ウン・ペッ」(河口に葭の原がある川)に由来する「長流」(おさる)の名で、駅名も同じでしたが、修学旅行で学校名・地名を聞かれるときに「おさる」が「お猿」を想像させることから、毎日利用する駅が「お猿」では嫌だという中学生による改称運動が起こり、昭和34(1959)年に地名も含めて現在の「長和」に改称されたというちょっと変わった駅です。
石積みのホームが残る長和駅から、有珠山を望むことができます。
長和駅から次の有珠駅までは再び複線区間になります。
有珠駅の駅舎は、今まで通ってきた稀府駅、長和駅の駅舎と同じ時期に改築されたようで、何となく作りが似ていました。
有珠駅を出ると、有珠山の真横を4キロほど離れて進むのですが、林の中の切り通しを進むため、眺めはよくありません。
途中、北入江信号場を通過します。
ここは単線区間で単純に行き違いするための信号場なので、一線スルーという構造で、線路は線路は上下2本あるのですが、海側の線路は待避線でのため、列車の交換や追い抜きがない限り、上下線とも山側の線路を通過します。ここは過去に2度ほど廃止されましたが、三度復活した信号場です。
北入江信号場を過ぎ右左にカーブして進み、市街地が開けてくると洞爺駅です。名前の通り洞爺湖の玄関口の駅です。ここから終点長万部駅までは複線区間になります。
次の豊浦駅では15分間の停車です。この間に2両目を切り離し、11時14分発の下り東室蘭行の準備をし、上り特急北斗8号函館行に先を譲ります。
豊浦駅周辺はそんなに開けてはいないように見えますが、室蘭方面への豊浦発の普通列車も何本か設定されています。
(跨線橋から見る豊浦駅前)
洞爺駅から礼文駅手前までは、地図上では海岸線に沿って走るので、一見景色を楽しめそうですが、複線化に伴いいくつものトンネルがあるため、トンネルとトンネルの間に駅があるという感じで進みます。それでも、大岸駅を過ぎると海岸線が見え、茶津岬の長さ97mの新達古武トンネルを抜けると、礼文華海岸にある「カムイチャシ史跡公園」が見えてきます。
(カムイチャシ史跡公園)
カムイチャシとはアイヌ語で「神のとりで」という意味で、駐車場からが階段を登ると、噴火湾を一望できるところに砦が原形のまま残されている史跡だそうです。
再びトンネルに入り、そこを出ると一旦海岸線から離れ、礼文駅に着きます。ここの駅舎も有珠駅と同時期に作られたようで、雰囲気が似ています。
礼文駅を出ると列車は登り始めます。そして、新礼文華山トンネルを抜けると、秘境駅として知られる小幌駅に着きます。
駅自体、上り線で言えば新礼文華山トンネルと幌内トンネルのほんのちょっとの間にあり、海岸に降りる草木が茂っている道しか無く、もちろん人家も無いところ。利用者は、保線作業員か釣り人ということでした。この日も4人の保線作業員が乗ってきました。
小幌駅から静狩駅までは、上下のトンネルが離れていて数は違うものの、ほとんどトンネルと言っていいほどです。トンネルを抜けると上下線が一緒になって静狩駅に着きます。
地名の由来は、アイヌ語の「シリ・トゥカリ」(山の手前)。長万部方面から海岸線伝いに北上すればちょうどここで礼文華にぶつかる「山の手前」です。
保線の詰め所でもあるのか、小幌から乗った4人はここで降りていきました。
静狩駅を出て、右から国道37号がオーバークロスすると、長万部に向けて並行して走ります。
そして、国道5号とオーバークロスすると終点長万部駅に着きます。
長万部駅到着は11時53分。ちょうど下り特急スーパー北斗7号札幌行に昼食用に注文を受けた「かにめし」と「もりそば」を届けたのでしょう、従業員の方が跨線橋を渡って帰るところでした。
(先に蕎麦屋さん、その後を弁当屋さんが。)
次の列車は、長万部駅13時28分発の函館行になります。1時間半ほどあるので私たちもここで昼食となります。
昨年探しても見つけることができなかったピザ屋さんに行きます。
つづく
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