ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
過渡期の神幸祭は大変
5月27日&28日に4年ぶりに行われた地元の神幸祭は昨日で無事
に終わったのだが、コロナ禍前から設定が変更されており対処す
るのが大変ではあった。
まず中核をなす子ども会のメンバーが減って来たタイミングで
コロナ禍になったため3年間新規会員の補充ができず神幸祭に出
るには人数不足となっているだけでなく、コロナ禍前から2日間
山笠を出すのは厳しいという意見が子ども会から役員会などで出
されていた。
だかといって子ども会のない他の町内から募集するというのは
年配者を中心に抵抗があったようで、どうなるのか?と思ってい
たが町内の執行部は他の町内からの募集に舵を切ったため以前も
記したようにカルタやキックベースに来てくれている子達が来て
くれて人数は揃った。
ところが神幸祭への日程表を見るとコロナ禍前と同じスケジュ
ールになっており変更してもらったのだが、27日のみしか出場す
る予定がなかった山笠の運行スケジュールはコロナ禍前と変わら
ないので大丈夫か?と思っていたら24日の練習前に驚く事が。
鉦叩き練習前に準備をしていると灰皿にタバコの吸い殻が残っ
ていたため台所のゴミ箱に捨てに行くと、28日の昼食のカレーを
作る例年通りのスケジュールが貼られているではないか。
慌てて区長に連絡を入れると28日も山を出すつもりだったよう
で子ども達の招集が27日のみという旨を伝えると結果的に27日に
山笠解体から直会まで全て行う事になり、とりあえずホッとした
のも束の間 山笠の運行スケジュールも変更となり24日は22:00
まで右往左往するハメになったのだ。
結局町内会で最も多く活動しているのが老人会で歳を取ると
例年通りの行動パターンが染み付いており、区長も老人会の会
員だから年度初めの組長会議で出た話も時間が経つと本能的に
以前の行動パターンになってしまうというのを痛感した。
これをいい教訓にして来年以降やらなければと思うのだった。
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自分達はロクに動かないのにね。
まぁ、翌年には綺麗サッパリ忘れているのが関の山でしょう。
それが今回の場合は老人会が、よくぞしっかりアジャストしてくれたと思ってます。
やはり何事も長年染み付いた本能的な事例を覆す事に協力し、しっかり適応してくれたのでありがたかったのですよ。
この間日本橋(神田)の祭りに遭遇しましたが、あんなところにあんなに子どもがいるはずがない(当たり前)。まあ日本橋とかの「ザ・東京」みたいなところの祭りを経験するのは、わるいことではありません。
むしろ他地区から集めてでも祭りを継続させようとする執行部は大したものですね。