大熊正二の戒厳令下の勝利から40年

 今から40年前の昨日5月18日は戒厳令下のソウル奨忠体育館
で行われたWBCフライ級タイトルマッチで挑戦者の大熊正二が、
王者の朴賛希を9RでKOして5年4か月ぶりに王座に復帰した日で
ある。

 試合は立ち上がりからプレッシャーをかけてくる朴の突進を
冷静にかわしながらボディブローを打ち込んで迎え撃つ展開で
徐々にペースを握って行った大熊が、8R終了間際にボディブロ
ーでダウンを奪うと9R開始早々に左アッパーのボディから右フ
ックをアゴに決めてダウンを奪うとレフェリーがストップした
のだ。

 昭和の時代、韓国での試合は日本人ボクサーにとって鬼門で
あり多くの選手が韓国遠征で負け続きだったし世界戦でもロイ
ヤル小林が立ち上がりに不運なダウンを喫した後は挑戦者の廉
東均に逃げ回られて判定負けしタイトルを失っている。

 挑戦者の大熊は74年10月にベツリオ・ゴンサレスに僅差の判定
勝ちでタイトルを奪取したものの3か月後の初防衛戦でミゲル・
カントに0-2の判定負けを喫すると、返り咲きを期して5度の挑戦
をするのだが僅差の判定負けが2度で勝ち試合を引き分けにされる
など不運続き。

 そんな中ラストチャンスとしてカントの15回目の防衛を阻んだ
朴賛希に挑戦するのだが韓国での挑戦になっただけでなく金大中
逮捕で後に光州事件が起きるなど、騒然とした雰囲気の中で戒厳
令が敷かれた状態での世界戦だから不利以外の何ものでもなかっ
たし中継もネット数の少ないTV東京だったので当時系列局がなか
った福岡でも見られなかった。

 王者の朴は大熊が3度とも勝てなかったカントからタイトルを
奪っただけでなく再戦でも引き分けとはいえダウンを奪っている
し、同時期にWBA王者だった強打のグティ・エスパダスを2Rで
KOしているのだから厳しい相手というのが当時の評価だった。

 ただ個人的には終盤失速癖があるだけでなくボディに弱点が
あり、アマチュア時代からサウスポーを苦手にしているという
話があったので‘ひょっとしたら’という気はしたのだがKO勝ち
とは‘まさか’だったのだ。

 その後の大熊は国内で朴との2戦を含め韓国人相手に3度の防
衛に成功するのだが、朴との初戦のようなKO勝ちはなかったの
だから敵地ならではの勝利という事になるのだろうか。

 それにしても韓国での世界戦で勝ったのは85年に渡辺二郎が
01年に徳山昌守が防衛しているものの、タイトルを奪取したの
は大熊のみだから正しく快挙だったのが分かる。

 

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