今となってはできない体験

 今から40年前の盆休みに我が家では祖父の古希祝で上京したの
だが、20日に祖父母と妹と一緒に戻って来た時に祖父の勘違いか
らとんでもない体験をする事になった。

 こういった旅行は最終便に合わせて戻るわけで今から40年前の
昨日・8月20日の21:40頃に新幹線で小倉駅に到着すると早速、
在来線に乗り換えるべく連絡通路を急いでいたのだが本来ならば
日田彦山線の最終便には15分ほど余裕があったのだ。

 ところが最も連絡通路の奥にある日田彦山線ホームに行く手前
の時間表を見ると、約5分後に出発する事になっていたのを見た
祖父は慌ててそのホームに駆け上がる事に。

 何とか車両に飛び乗って程なくすると列車が動き始めたので祖
父は‘はぁ~よかった。まさか5分しか余裕がないとは思わなかっ
た、危うく小倉に泊まるハメになるところやった’と言っていた。

 ところが西小倉~南小倉~城野と過ぎていたら本らなら山の中
に入って行くはずが妙に明るいので不思議に思っていたら、車内
アナウンスで‘次は安部山公園’と聞いて‘日豊線&田川線経由に乗っ
てしまった’と祖父が驚いていたのだ。

 小倉から最寄り駅・後藤寺駅までは日田彦山線で1時間ほどなの
だが、当時は日田彦山線ができる前にあった行橋経由の田川線&
日豊線という路線があるものの大回りするため1時間半程かかる。

 つまり祖父はコレに間違って乗ってしまい1時間半ほどかけて
戻るハメになったわけで、本来なら23:00過ぎに着く予定が何と
23:40ぐらいに到着してヘトヘトになった。

 ちなみに遡る事3年前の78年の盆休みに別府に1泊2日で行った
時に帰りの電車を40分ほど待たないといけなかったため、祖父が
バスで帰ろうとしたら2時間半程で着くはずが大渋滞に巻き込ま
れて6時間以上かけて20:00過ぎにようやく到着した事があった。

 ただ今にしてみるとこの時に乗った大分発~福岡行きのバス=
いでゆ号は廃止されているし、行橋経由の日豊線&田川線も今は
なく必ず平成筑豊鉄道に乗り換えなければいけないわけで祖父は
我々に貴重な体験をさせてくれたと思う。

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