今から40年前の今日77年11月23日に担任の先生の引率で平尾台
にクラスの面々と登った。
当時の私は中2だったのだが担任の先生が‘23日に平尾台に連れ
て行くから’と希望者を募集したところ、私を含め23人の参加者が
あったわけで地元の駅に朝集合し日田彦山線で最寄りの石原町駅か
ら山登りを開始した。
基本的に頂上まで一本道なので当時元気がよかった先生は先に
行くのに対し私のグループも必死で付いて歩いていたら、後続の
連中は当然遅れ始め姿が見えないと思っていたのだが何と後ろか
ら上ってきた車の後部座席に3人ばかり乗っているのだ。
凄く損をした気分でグループの友人が3分程後に上ってきた車に
乗せてもらうように頼むと交渉が成立し先生達のグループの1つ後
ろを歩いていたメンバーを追い越して行ったわけだが、さすがに
先生のグループを追い越すわけにはいかないので直前で降ろして
もらったのだった。
途中で見晴らしのいい場所から下を見ると4日ほど前に見た八つ
墓村の1シーン=ショーケンと小川真由美が山道から村を見下ろし
‘あれが八つ墓村よ’というシーンみたいな雰囲気で盛り上がって
いた。
やがて山頂に到着してカルスト台地の岩の上で弁当を食べていた
のだが、ここの名物は鍾乳洞だから早速みんなで行こうという事に
なった。
そういえば八つ墓村の舞台も鍾乳洞だったので映画を見た我々は
大張り切りで千仏鍾乳洞に入って行ったわけで‘木霊の辻’のマネ
をして手を叩いて‘反響してない’などと言い合ったり‘鬼火の淵
は秋芳洞の千枚皿やから無理’‘竜の顎はどこあたりやろうか’
‘多治見要蔵が祀られてないのか’と口々に言いながら歩いていた
のだが残念ながら途中で照明がない場所になったので止む無く引き
返す事に。
こうして大いに楽しみながら平尾台を下山したわけだが、これま
で担任の先生は怖い人というイメージが強かったのが平尾台登山で
意外に親しみやすいというのが分かり今でも年賀状の交流がある。
ちなみに私が現在キックベースやカルタに来てくれるメンバーや
子供達の友人を城井谷城跡の山城や、馬ヶ岳に英彦山などへ連れて
行くのは40年前の平尾台登山の影響だと思うのだ。
そういう意味では貴重な機会を与えてくれたW先生には今でも感
謝しているし、いい恩師に恵まれたと思っている。