今年はホークスが南海からダイエーに身売りされ福岡を本拠地に
してから30年目を迎えるのだが、奇しくもホークスが福岡で戦い
始めたのが平成元年という事だから30回目のシーズンを終えた事
になる。
南海ホークスは73年のリーグ優勝を77年の2位を最後に万年
Bクラスと低迷中で、球団名がダイエーに変わり本拠地を福岡に移
しても最初の10年間は弱いままだった。
ところが99年からはCSで敗れた3回を含めリーグ優勝10回、
日本一7回という素晴らしい成績を挙げているわけで平成の30年
間だけ見ればリーグ優勝の数はジャイアンツに次いでライオンズと
並ぶし日本一の回数はジャイアンツの6回を上回る7回だ。
福岡に来て6年目の94年に初めて優勝争いに加わったりはした
ものの万年Bクラスで、96年に最下位に終わった年などは選手が
乗ったバスに生卵を投げ付けられる屈辱を味わったチームがよくぞ
ここまでと思ったりする。
実はホークス買収当時のダイエーも資金は潤沢だったのだが今の
ジャイアンツ同様、金はかけるものの外れの選手ばかりを取って当
然ながら期待はずれの成績に終わるという事を繰り返していた。
それを立て直したのは元ライオンズの故・根本陸夫氏で93年から
ホークスの監督を2年務めた後に、GM的な地位に座ると本領を発
揮しトレードで秋山幸二をFAで工藤公康や石毛宏典らを獲得した
だけでなく王貞治を監督に据えるという通常では考えられない思い
切った手を打つ。
つまりフロントのトップと監督に中心選手といった3つのカテゴ
リーで勝者のメンタリティを持った人材が揃った事になる。
投手陣では工藤が野手陣では秋山や石毛が小久保裕紀ら若手選手
達に勝者のメンタリティを叩き込んで行き、彼らが中心になったあ
たりからホークスの成績が上昇していったわけだ。
99年に根本氏が亡くなって後を継いだ無能男が一時期チームを
ガタガタにしかけたがセクハラで失脚し、05年から受け継いだソ
フトバンクの孫社長は王に絶大な信頼を置いたため08年限りで監
督を退任するものの根本氏と同じ立ち位置でチームを運営している
ため無能男の負の遺産で一時期下降気味だったチームが上昇に転じ
る形になった。
実際99年の初優勝後に05年まで2度のCS敗退を含む5度の
リーグ優勝&日本一が2度だったのが、06年以降は優勝すらなく
08年には最下位に終わったのは無能男の負の遺産以外の何もので
もない。
それが09年からは5度のリーグ優勝&5度の日本一になったの
は王が実権を握りチームを立て直したという事になるわけでフロン
トの力がいかに大きいか分かるし、今やフロント・コーチ・選手と
3つのカテゴリーが優秀でなければチームは強くならないのが分か
るだろう。