アントン・ヘーシンクの激

 今から50年前の日本時間の今日72年9月11日にミュンヘン五輪が
閉幕し、日本は金:13、銀:8、銅:8の計29個のメダルを獲得し
前回のメキシコの金:11、銀:7、銅:7の25個から東京の29個に
数字の上では戻せた。

 何と言っても体操は男子団体の4大会連続金を筆頭に金:5、銀
:5、銅:6の計16個を筆頭に大会前アニメドキュメント・ミュン
ヘンへの道で話題になった男子バレーが金メダルを取り、競泳で
もベルリン大会以来の男女金メダルという快挙を演じた一方で引
っかかったのは柔道。

 2大会前の東京以来復活し無差別級を含めた4階級から6階級に
階級が増えたにも拘わらず、金メダルを取れたのは中量級から下
の軽いクラスで重量級や軽重量級に東京で取れなかった無差別も
含め金ゼロに終わった。

 実はこの大会までは完全トーナメント戦の救済措置として敗者
復活戦から優勝できるシステムだったのだが、重い階級では銅メ
ダル1個というのは何とも情けなく思われていた。

 それを受けて柔道界のお偉方は日本人と外国人は体格が違い過
ぎるから勝てるわけない’的な事を言っていたのを真っ向から否定
したのが、東京五輪・無差別級金メダリストのアントン・ヘーシ
ンク。

 ‘我々が最初から屈強な体格をしているわけではない、普通に柔
道すれば日本人に勝てないから筋力トレーニングで屈強な体を作
り力で技を凌駕するスタイルを作ったのだ。そもそも小さい者が
大きい者に勝つのが柔道の醍醐味ではないのか’と反論していた。

 このヘーシンクのゲキが効いたのか4年後のモントリオールで
は重量級で遠藤純男が初戦で金メダリストのノビコフに惜敗し
銅メダルだったものの軽重量級では二宮和弘が金メダル、そし
て上村春樹が遂に3大会目にして無差別級を制する事ができた。

 それから山下泰裕・斉藤仁・正木嘉美・小川直也・篠原信一
・棟田康幸・井上康生・鈴木佳司・石井慧らの世界王者達を輩
出できたのもヘーシンクのゲキが効いたのも1つの要因ではない
かと思う。

 

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