ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
ジュニアクラスの価値が下落した発端
以前も記したように今から30年前の91年12月17日に行われた
WBA:Jフライ級タイトルマッチで元WBCストロー級王者・井岡
弘樹が、17度防衛中の王者・柳明佑に2-1の判定勝ちでタイトル
を奪取し2階級制覇に成功した。
この試合は井岡のキャリア最高の試合で王者・柳の実績などを
考慮すると年間最高試合に選ばれてもおかしくなかったのだが、
9月に行われたWBCバンタム級タイトルマッチで王者グレグ・リ
チャードソンをプロ入り8戦目の辰吉丈一郎が破った試合の方が
選出され井岡陣営が激怒という形にもなった。
確かに井岡が勝った柳はクラスレコードの17回防衛中の名王者
だったわけだから大いに価値はあるだろうが、やはりジュニアが
付かないクラスの方が価値が上という事になるのだろう。
それから4年後の95年はエースとなっていたWBC:jバンタム
級王者・川島郭志が完璧な内容で3度の防衛に成功しておりMVP
確実といわれたが、12月19日に東洋太平洋ミドル級王者の竹原
慎二がWBAミドル級王者アルマンド・カストロに勝って未踏の
世界ミドル級王者になったためMVPや年間最高試合などすべて
竹原が持って行く事になった。
これについて川島は‘やはりミドル級には勝てませんよ、Jバン
タムの3勝よりミドルの1勝の方が断然価値がありますから’と語
っていたのを思い出す。
長年日本ボクシング界では世界タイトルなら何でもいいという
価値観があったし、50年前に輪島功一がJミドル級タイトルを奪取
した時に‘日本最重量級王者だった藤猛のJウエルターより2階級重
いJミドル級を取った’という形で賛辞を送る声がほとんど。
ところがエミール・グリフィスはウエルターを取った後に1階
級飛ばしたミドルに挑戦して2階級制覇していたし、輪島がタイ
トル奪取の3年後に同じくウエルター級王者ホセ・ナポレスがミ
ドル級王者カルロス・モンソンに挑戦しているのを見てもジュニ
アが付くタイトルの価値が1ランク下になっていたのが分かる。
それを考えると90年代に入ると日本ボクシング界でも世界的な
価値観が共有され始めたわけで辰吉の人気という要素があるかも
しれないが、97年7月のW世界戦で辰吉のノンタイトル戦がセミ
ファイナルでメインがWBCライト級タイトルマッチ:スティーブ
・ジョンストンー坂本博之戦だったのに対しWBA:Jフェザー級
タイトルマッチのアントニオ・セルメニョー葛西裕一戦が前座に
回されTV中継も録画のダイジェストになったのも同じ流れだろう。
その流れがWBC:Lフライ級王者・寺地拳四朗が8度防衛に成功
していたものの、1度もメインを張る事がなかった形につながった
のではないのだろうか。
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