昭和のヒーロー作品では科学という言葉は錦の御旗的な扱いで、
スーパーロボットレッドバロンのEDでも‘科学兵器で大勝利’と
いう歌詞など当時は希望溢れる響きだったのを思い出す。
57年公開の地球防衛軍では平田昭彦演じる天才科学者・白石亮一
が‘地球は地球人でもミステリアンでもなく優れた科学が支配する’
と語っていたように、優れた科学こそ人類の明るい未来を保障する
ものと当時の科学者達は実際に考えていたのだろうと思う。
だからウルトラマンの防衛チーム・科学特捜隊をはじめ科学○○
というネーミングは優れた物の象徴だった。
またファイヤーマンのサブタイトルに‘武器は科学だSAF’が
あったり、ミラーマンのザイラス編では村上チーフがソルガンで
敵を倒しても科学力でインベーダーを凌駕しなければ勝ったといえ
ないというセリフも出てくる。
ところが最近は同じ科学兵器でも‘化学兵器'の方が幅を利かせて
いるのが現状だ。
毒ガスなどの大量殺戮兵器を化学兵器と言い始めたのが原因だが
70年代以降は優れた科学も諸刃の剣で、科学の進化が必ずしも人
類の明るい未来を保障するものではないと気付き始めた頃になる。
‘科学兵器’は侵略を阻み人類の未来を切り拓くような兵器という
イメージなのに対し‘化学兵器’は大量殺戮兵器の象徴で対象的で
ある。
‘科学’と‘化学’は字で表すと違いが分かるものの読み方が同じ
だから、どうしても正義のイメージから外れやすいので平成以降の
作品では‘科学○○’という呼称を聞かなくなったのだろうし進化
し過ぎるリスクも考え始めたのかもしれない。