ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
地味なイメージの大熊正二だったが
今から40年前の5月18日にソウルで5度防衛中のWBCフライ級
王者・朴賛希を9RでKOして5年4か月ぶりに王座返り咲きを果た
した大熊正二というボクサーは74年から82年まで8年もの間に世
界戦を13回も戦っているわけで素晴らしい選手だった一方、試合
ぶりなどが凄く地味で爆発的な人気を得られなかった不運な王者
だと思う。
大熊の名前を始めて聞いたのは74年10月1日にベツリオ・ゴン
サレスに2-1の僅差判定勝ちでタイトルを奪取した時だったが、
それ以前は日本王者にもなっておらず知名度が今ひとつで地味な
雰囲気の王者だった。
悪い事に74年10月は世界戦が5試合も行われており2日後の3日
にWBC:Lライト級王者の柴田国明が指名試合で強敵といわれた
ラミロ・ボラニョス相手に最終ラウンドストップ勝ちし年間最高
試合となっただけでなく、18日には大場政夫のライバルだった花
形進がWBAフライ級王者チャチャイ・チオノイに勝って5度目の
挑戦で遂に世界を取ったため柴田や花形に比べて影が薄かった。
しかも初防衛戦で後に14度も防衛するミゲル・カントに0-2の
判定負けでタイトルを失うと返り咲きを狙って5度も挑戦するが、
78年1月のカントとの2戦目は1-2の判定負けで79年1月にWBA王
者に返り咲いていたベツリオ・ゴンサレスには引き分けで挑戦に
失敗するなど判定運にも見放されていた。
大熊のKO勝ちは49戦して20とKO率は、408と大場政夫の、421
には及ばないものの花形進やファイティング原田よりも上なのだ
から悪くはないのだが、敗れた相手がゴンサレスやカントにアル
フォンソ・ロペスら中南米のテクニシャンタイプで距離の取り方
が巧く相手のよさを潰してしまうからKO勝ちはおろかダウンすら
奪えてなかったのだ。
ただしソウルで倒した朴賛希は好戦的なファイタータイプで計
3度対戦しているのだが、KO勝ちした初戦だけでなく日本で対戦
した残り2戦も白熱した素晴らしい試合だったと思う。
正直言って国内や東洋レベルなら一発で倒せるので当時の常と
して多彩なコンビネーションや大場政夫や具志堅用高らのような
高速連打が出なかったので、試合を見ていると手数の少ない消極
的な戦いをし結果的に相手からポイントをかすめ取られ僅差の判
定に泣くのが目立ったため華がないと思われたのだろう。
だから朴のような噛み合う相手との対戦がもう少しあれば、イ
メージも違っていただろう。
しかも時期的に最初は柴田国明やガッツ石松の、2度目は具志堅
用高の全盛時と重なりソウルでタイトルを奪取した2週間後に具志
堅はJフライ級防衛新記録である12度目の防衛をKOで飾るのだから
影が薄くなってしまう。
ちなみに80年は具志堅の先輩である上原康恒の世界王者3人で
年を越したのだが2月に大熊が防衛に成功するが3月に具志堅が、
4月に上原が王座を失い唯一の世界王者になっていたので勝って
いけば少しは目立つかと思われるも7Rに壮絶な打ち合いの末に
KO負けし王座転落の波にのみ込まれたのだから残念だった。
そういった巡り合わせの悪さから不運だとは思うものの先述
したように、世界のトップレベルで8年間戦い戒厳令下のソウル
で無敗の王者をKOでタイトルを奪取した素晴らしい王者だった
事は忘れてはいけないと思う。
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