対極の価値観を否定する事なかれ     

 先日アップした‘ジャズとオーケストラの監督論について’の話
だが、とかく日本の野球界はオーケストラ型を重宝しジャズ型を
評価しない論調があるのは残念だ。

 この記事を柏戸と大鵬に例えたわけだが大鵬が32回という優勝
回数を誇るのに対し柏戸は5回と圧倒的に少ないのを見て相撲評論
家達が‘柏戸の相撲を否定したというのは聞いた事がないし、ラグ
ビーでは早稲田と明治という2つの対照的なスタイルを持つ両校が
例えば早稲田が勝ちまくっているからといって明治にも早稲田の
ような戦い方をするべきという話も聞かない。

 光ある所に影ありという言葉があるように対局的な物というのは
必ずあるわけで、対局にある物を否定するのは本来間違いだと考え
るのだ。

 日本球界で歴代最高監督の1人と言われる三原修氏は理論派と言
われていたのだが長年自身の下でコーチをしていた仰木彬氏が全く
毛色の違う西本幸雄がバファローズの監督に就任した事からチーム
を移ろうと考え、三原氏の所に挨拶に行ったところ‘西本君の下で引
き続き世話になりたまえ、彼は私にない素晴らしい物を持っている
から両方勉強する事で素晴らしい監督になれる’と勧めたらしい。

 西本氏は三原氏とは対照的にゲンコツも辞さない熱血指導で選手
達を育てて行ったタイプで、本来なら三原氏にしてみると全く違う
価値観だから本来なら否定したがるのだが むしろ認めていたとい
う事になるのでい三原氏の度量の大きさが分かる。

 素晴らし過ぎる成功体験は失敗の元という言葉があるが長年の成
功体験は、ややもすると価値観の硬直化を招きマンネリズムを生む
事になりかねない。

 オーケストラ型と言われた川上野球では長嶋茂雄が森野球ではオ
レステス・デストラーデ、野村野球には池山隆寛やデュエイン・ホ
ージーら敢えて不協和音を奏でる者がいたのも事実。

 しかし塩をスイカに振ると甘みが増すように不協和音を奏でる選
手がアクセントを与えていたからこそチームが活性化していたのも
事実で、川上氏以下の監督達も敢えて彼らを外さなかったのはそう
いうアクセントを認めていたからであろう。

 先述した柏戸と大鵬や早稲田と明治のラグビーなど対局にある両
者が相手をリスペクトしても否定する事がないのに、こと野球に関
しては片方の価値観のみしか認めないという一神教的なOBやマスコ
ミが多いのは異常だと認識するべきではないだろうか。

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