ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
長嶋茂雄79回目の誕生日に思う
今日2月20日は元ジャイアンツ監督・長嶋茂雄の誕生日だ。
個人的に野球に興味を持ち見始めたのがジャイアンツのV9最後の
年である73年で長嶋のプレーを見るのに間に合ったわけだが、残念
ながら現役晩年だった事もあり そこまで凄い選手とは思えなかった。
ただ熱烈なジャイアンツファンだった祖父の影響でそれなりの情
報は知っていたし、時おり‘ここ一番’の場面で快打を放つ姿には
往年の凄さを垣間見る事ができ引退した74年オフには木曜スペシャ
ルなどで全盛時の姿を映像で見てスーパースターだった事を妙に納
得したものだった。
引退直後に監督に就任した事もあり75年に最下位に終わった後
76年&77年はリーグ優勝したものの日本シリーズでは当時全盛だっ
たブレーブスに敗れ、78年以降はリーグ優勝も逃し続けた事から
80年を最後に解任の憂き目に遭う。
それでも12年間の充電期間を経て93年に監督復帰すると9年間で
リーグ優勝3度、うち2度の日本一となった。
95年以降大型補強を繰り返しての中での成績だから3度のリーグ
優勝に2度の日本一は物足りないという意見もあるが、少なくとも
長嶋ジャイアンツの間は選手起用をはじめとした采配ぶりに野球ファ
ンが喧々諤々の熱い議論を交わしていた時代だった。
こういった‘熱さ'が現在の日本のプロ野球から消えてしまった
のは残念だし、他の監督では考えられないことだろう。
私も長嶋茂雄の熱にうかされて93年から99年を除き00年まで宮崎
キャンプに日帰りで出かけていたし、前半の頃は運動公園でのラン
ニングを一緒にさせてもらったり持参したボールにサインしてもら
うなど思い出は尽きない。
04年の病気以来いろいろと大変な事もあるようだがファンを大事
にする姿勢は変わらないのを嬉しく思うし、いつまでも元気でいて
欲しいものだ。
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長嶋の理想は西鉄ライオンズだったようですね。
それを平成の世で再現しようとしていたようですが、
当然ながらこのスタイルは3年に1度しか勝てないわけですよ。
ただ資金力のあるジャイアンツが真面目な勝ちに徹するスタイルで戦うと勝つのが当たり前になるので、あえて脇の甘い派手な野球を見せていたようです。
だからアテネ予選の時は地味なメンバーで固い野球をしてましたからね。
松井のセンター起用は、これからのスター選手は外野手の時代と考えていたようでイチローがそれを体現した形でした。
ジャイアンツが西鉄ライオンズに負けたのは川上や与那嶺に別所ら第2期黄金時代の主力が衰えていた時代に
稲尾・豊田・中西らジャイアンツの主力を凌ぐ若手選手が育ったという事になりますか。
実際に長嶋は西武ライオンズファンの集いで‘史上最強チームは昭和32年の西鉄ライオンズ’と語ってまして
(その前に90年代のライオンズはV9ジャイアンツには勝てないと堂々と言っていた)川上ジャイアンツの仮想敵チームは西鉄ライオンズだったという事です。
だからスモールベースボールの極みであるV9野球から
西鉄のようなスタイルの野球を甦らせてファンを喜ばせようと考えたのでしょうね。