宝石ざくざく◇ほらあなJournal3

ロシア語をはじめ、外国語学習に関するあれこれを書いておりましたが、最近は…?

3度目の17歳

2020年08月29日 | 日常の記録
某日『中年の本棚』(荻原魚雷 紀伊国屋書店)を読む。
私は著者と同年なので、なおいっそう興味深い。
基となる連載の最終回原稿を、著者は50歳の誕生日に書き上げたそうだ。

さて私は50歳の誕生日にどういう感慨を持ったかと振り返ってみると、このブログにはそのころのことは何も書いてないし、「ほぼ日手帳」にも、その日の行動は書いてあったが、特に想いとか決意表明とかは綴られていなかった。

残念だなー。
「大台に乗った」ということで、あえておおげさにせずさらっと流そうとしていたか。
数年前に得た「一の位の数字が0になってリセットされている、若返っている!」という見方(スカパラ欣ちゃん)には大いに感銘を受けていたのだが。

そこで、来たる51歳の誕生日に向けては記憶に残るよう、カウントダウンを始めてみようと思ったのだ。

51ってなにか半端でいい数字じゃない?50より好きかも。
そもそも、私は素数の数字って好きなのよねー51,53、57、59 50代は素数多いね(ニコニコ)
と思っていたら、
がびーんお恥ずかしい、51は素数じゃなかったのね。(57も違うのね(^^;)
(「がびーん」という擬音?を持ってくることも恥ずかしいが(^^;)

51の約数は1と3と17。そうか3で割れたか・・・
17の倍数ということで、はっとひらめいたことが。

40歳過ぎていることを「成人式を2度迎えました」と表現しているのを見たことがあるが(エドはるみさんでしたか)、それに倣うと51歳は、3度目の17歳を迎えるとも言えなくはないか。
そういえば、2度目の17歳というべき、34歳のときも、結構「2度目の17歳」的心境だったような気がする。今この前提で振り返っているからかもしれないけど。
思春期というかこじらせているというか、今しかないという焦りというか。
16歳でも18歳でも実はそんなに変わらないんだけれど、「17」の数字にしか宿っていないマジックが「34」と「51」にも(次の68は偶数だし約数がたくさんあるから違うなー)あるんじゃないか。

ということで、来たる51歳を楽しみに、残り少ない50歳の日々をいとおしんでみよう。