今日は蒸し蒸しした1日でした あまりお出かけには向かない空模様でしたが、中途半端に 精力的に動き回り……まずは新国立劇場、相変わらず京王新線の駅は無駄に遠い。。。観劇の後は銀座に足を延ばしてイリアスのチラシをゲット 実物を見たのは初めてだったのですが、なかなかイイ感じの色調で神話っぽい雰囲気だな~~と勝手に満足 見開いた部分に書かれている文章を読むと、壮大で深い人間ドラマが観られそうな雰囲気 9月はココに通うのね~と覚悟を決めて帰ってきたのでした、、、マルッ そうそう、笑わないでくださいね~~今更ながらクリスピードーナツを初体験。店の前を通りかかったら……並んでないじゃん!あの大騒ぎは何だったの?って感じですが、さすがに1時間も2時間も待つ気力は いつでも行けるし~とスルーし続けてたら4年も経ってました(笑) 見た目も味もアメ~リカンな感じ。たまに…で十分かも じい的にはもう1つのドーナツの方が好みだなぁ~
で、、、ここからが本題。今日観劇したのは東京裁判三部作の2作目「夢の泪」です。あらすじはこんな感じ。
昭和21年4月から6月にかけて、新橋駅近く、焼け残りのビルの1階にある「新橋法律事務所」。弁護士・伊藤菊治は、7回も司法試験に落ちたものの女性弁護士の草分けで腕利きの秋子と結婚、亡父の開設した法律事務所での仕事に追われる毎日。だが唯一の欠点でもある、女性に弱いことが原因で2人は離婚寸前。継父を慕う秋子の娘・永子は、両親や敗戦後の日本人の行く末に不安を感じている。そんな事務所では、復員兵で夜学に通う田中正が事務所に住み込みで働くことになるが、どうも永子を秘かに想っているらしい。永子の幼なじみの片岡健も永子宛の恋文をもって現れる。健の父親は新橋を仕切るやくざに対抗する朝鮮人組長で、どうやら重傷を負ったらしい。と、隣の第一ホテルの将校クラブで歌うナンシー岡本とチェリー富士山が乱入してきた。お互いの持ち歌の著作権を争って大喧嘩、法律事務所に決着をつけてもらおうと飛び込んで来たのだった。そんな折、秋子が東京裁判においてA級戦犯・松岡洋右の補佐弁護人になるよう依頼されて事務所に戻ってくる。事務所の宣伝のため、とりわけ秋子との関係修復のため、菊治も勇んで松岡の補佐弁護人になることに。亡父の仲間だった老弁護士・竹上玲吉に細かい民事事件などを手伝ってもらうことにしたのだが、こと東京裁判に関しては、裁判そのものの意味や弁護料の問題など難問が山積みである。ついにはGHQの米陸軍法務大尉で日系二世のビル小笠原から呼び出しが菊治にかかる。(新国立劇場HPより)
全2幕で3時間弱。楽器の演奏者は舞台前方の床下の左右にそれぞれ2人ずつ入って演奏していて、その上にも板が渡してあるので役者さんたちはそこを行き来して踊ったり歌ったりしていました。じい、井上作品は他にもいくつか観ていますが、予想外に歌が多かったのはビックリしました 特に1幕の最初の方はミュージカルを観に来ているのではなかろうか?と思うほどで、ちょいと戸惑いがあったのが本音だったりするのですが でも、いつぞやどこかで読んだか聞いたかした覚えがあるんだけど、人が生活していく中でその時の気持ちや状況に沿って歌うというのは自然なことで、それを取り入れたのがdrama with music って……しかもその“方法”はこの三部作から始まったそうで ここ何年か観た作品よりも荒削りな面はあったような気はしたけど(ちょっと突然歌い出す感とか無理やり感みたいな部分があったので…)、人間の普通の、でも大切で着実な生き方に溢れた優しい空気感が出ていたと思います。
役者陣も大健闘 皆さん素晴らしくて言うことなしの大満足~~ 井上作品の中でダメ可愛い(爆!)オヤジ役と言えばこの方、、、辻萬長さん。今回もお調子者なんだけど大事なツボを押さえた役どころで唸らせていただきました。大和田美帆ちゃん、最初の方は主張しま~す的な喋り方が気になったんだけど(ザ・演劇みたいな台詞回しが苦手なもので)後半は社会に対して若々しくて真っ直ぐな姿勢で対峙していこうとする姿に引き込まれました じい的にはミューでおなじみという感じなのですが、春風ひとみさんと土居裕子さん。その歌声を活かした歌手役で素敵でしたね~~二人が争った歌の著作権、、、お互いに自分の夫が作ったと主張していたけど結局は同じ部隊に所属していてその時の上官が作ったものだったというオチ これは予感的中 もしかしたら同じ男を愛していたというオチかな?とも思ったんだけど、まぁ方向性は間違っていなかった……か(笑) そして、、、じいが特に注目したのが女性弁護士・秋子役の三田和代さん&老弁護士・竹上役の木場勝己さん。木場さんはもうね~~期待を裏切らない存在感だし声も素敵だし~~映像では嫌なヤツな役で出会うことが多いんだけど、舞台では深みのあるキャラクターで出会うことが多くて目を引くのよね~~「イリアス」では何度も(爆!)会うことになると思うので、、、ますます楽しみになりました。三田さんの方はじいはお初。冒頭の歌を聞いた時は……ゴメンナサイ ちょっとヤバッ と思ったのですが、それも含めて不器用さと生真面目さと可笑しみが籠った“オモシロイ”キャラクターになっていたと思います。その一挙手一投足にこの作品のテーマが込められているような役どころでもあったのですが、彼女を観ながらいろ~~んなことを考えさせられましたね~~
そうなんですよ!やっぱり期待を裏切らない良い作品でしたね~~井上さんらしい切り口、セリフの1つ1つは深いし、クルクルと観る者の頭を回して考えさせる素晴らしさ 相変わらずセリフの裏には膨大な資料や想像力に基づいたものがアレコレ見えるし ほ~~んと、サラリと喋った何気ない会話の中に見逃せない様々なものが詰め込まれていたんですよね~~じいの小さい脳みそでは根こそぎは拾えないけど ……例えば、1幕で秋子が松岡洋右の補佐弁護人になることが決まって、その弁護方針について菊治と話すシーン。法律が制定された時に制定前に起きた事件に関してはその法律で裁くことはできない、アメリカ合衆国憲法にもそういう条文があるからそれを根拠に、既に行われたドイツを裁いたニュルンベルク裁判で出てきた「平和に対する罪」「人道に対する罪」を前の戦争に適用するのはオカシイというので争うのはどうかと……結局、戦争前に遡って1928年のパリ不戦条約が問題になるから無理~という話になるんだけど、その時に秋子が「どこまで遡ったらいいの?真珠湾なのか、日中戦争なのか、満州事変なのか…」と時系列的に歴史事項を並べていくんですよね~~このやり取りって、太平洋戦争、第二次世界大戦、15年戦争、そういう「括り方」の議論に繋がるじゃないの~と思ったのよね。それに、永子の幼なじみの片岡健のこと。在日朝鮮人の彼はいろんな問題提起をするんだけど、同胞が置かれている立場について放すところで「我々の多くがお金を貯めて山口県に行こうとしている。そこで漁船を借りて半島を目指すんだ」と言うのですが、その後に行われた帰国事業、そうやって帰った人は今……そういうことも含めて考えてしまいましたね~~あと、、、著作権を争っていたクラブ歌手のナンシー岡本とチェリー富士山の一件。復員兵で事務員の田中が歌の出来た経緯を調査&報告するところで、これまたサラリ~と二人の夫は同じ部隊に所属していてその時の上官から教えてもらったこと、宇品港から出征した?あるいは原爆投下翌日に宇品港から入ってきた??そこら辺はうろ覚えなのでゴメンナサイ でも、宇品港という場所がどういう性質の場所だったのかを知らなければ出てこなかった言葉だと思うし、その上官は後に入院→死亡したということがどういうことなのか、そしてナンシーさんもチェリーさんも未亡人になってしまうんだけど……ということは???ここだけでも多面的に描かれていると思いました。それと、、、やっぱりこれは外せないキーなセリフだったと思います。2幕終盤で日系二世のGHQ法務大尉・ビル小笠原が言った「人は議員になった途端に変わる。議会は男を女に、女を男にする以外は何でもできる。だから大事なのは監視し続けること…」別次元の問題にはなるけど、今は性別を変えることも可能ですよね~~そして生命の始まりと終わりさえも決められる。監視し続けること、、、つまりは無知にならないこと、関心を持つことなんだと思うけど、自分も含めてそれをし続けることが果たしてできるのだろうかと。。。
10年位前かな~~自虐史観だの国民の誇りだの主張した学者や評論家……とは言えないような、その地位にある人たちの論とか、逆に冷静さや根拠に欠ける、あるいは批判するだけで何も生み出さない過激な歴史論とか、単純な二項対立な描き方ではない。パンフにあった「あの裁判は、正しいところと、まちがったところがあった」「物事には両面があります。裏もありますと批判しているばっかりでは何も創造していない。もうひとつ上の、これだけは守って行こうではないかというものをたがいにさし出し、共有する」という井上さんの言葉……多元主義を乗り越えるとは?みたいな話が書かれているのですが、まさにその発言に繋がるようなものが作品の中で描かれているんですよね~~例えば日本の朝鮮半島支配。在日の片岡が関わった抗争に絡んで菊冶が日本の朝鮮半島に対する姿勢を説明するシーンがあって、「戦争中は君たちは日本人じゃなくて、戦後に君たちは日本人になった。同じ民族なら放置していても構わないから…」と言う。凄いパラドックスですよね~~確かに文化政策を執った部分はあったけど、同時に皇民化教育・同化政策も施したわけで、戦後は本当は独立して別の人格、もとい「国格」を成したはずなのに。。。でもこういうパラドックスは随所で行われていた……アメリカの占領政策だって、劇中にも出てきたけど東京裁判の弁護人の給料をどうするのか?日本政府は戦犯を弁護する人にお金を出す気はないし出せない、街頭募金で集めようとした菊治はGHQから禁止命令を受ける……一般市民が裁判や戦後処理に興味を持つのは不都合があるから。ビル小笠原が語った戦中の日系人の立場……半ば強制的に収容所に入れられたけど、アメリカ市民として認められれば日本人と戦わないといけないからある意味では保護政策だった?とも言い切れない部分が多々あるんだけどね~~実際には。永子が「世界のあちこちが変だ」みたいなセリフを言い、片岡は「全員が捨てられた」と言っているけど、まさにその通りだと思うんですよね。特定の人たちだけが事の渦中にいるわけではなくて、その人たちに負の部分を押し付けている大多数の人たちに罪はないのか?でもね~~そういうところを苦しくなるような糾弾を加えないところが井上作品らしいというか、、、懸命に生きている、生きなければいけない人間に対して笑いという逃げ道を作りつつツボは外していないな~~と感じましたね~~だから登場人物はご立派な人たちじゃない、でもそこが何とも優しくて愛おしいというか……じいも含めてだけど、はっきりと結論は出ないというか、考えれば考えるほど分からなくなるんですよね~~特に「批判しているばっかりでは何も創造していない」という言葉が深く突き刺さります。次に踏み出さないといけない段階、、、それが今の時代に求められることであり更に難しいことを課せられているんだな~と。。。
1幕冒頭の歌が「空の月だけが明るい東京」で、2幕最後の歌が「空の月だけが暗い東京」 こうなった経緯がまさに戦後10年→抜け落ちた10年という見方もあるけど、、、それを表した上手い表現だと思います