一葉一楽

寺社百景

東大寺 その3 ー 大きさへの転回

2013-06-18 10:44:46 | 寺院

東大寺の前身は「東大寺要録」に「(天平)五年(733年)癸酉公家為良弁創立羂索院号古金鐘寺是也」にある金鐘寺と云われている。天平勝宝四年(752年)の「山堺四至図」に描かれる単層の羂索堂・千手堂がそれである。羂索堂は法華堂の位置にそのまま残る。不空羂索観音を本尊とし、衆生救済のための行主体であったのであろう。天平十三年(741年)に至り丈六の阿弥陀像安置が発令せれ、金光明寺、国分寺へと性格を変える。さらに宇宙を顕現する毘盧舎那仏、鎮護国家へと転回する。金鐘寺が東大寺に取り込まれた姿である。(参照:「国宝東大寺法華堂修理工事報告書」奈良県教育委員会 1972年)。

             

             

          

              

                    法華堂

(注)2013年1月撮影

法華堂(正堂)と同じく東大寺創建時の建物として転害門が残る。「東大寺山堺四至図」には西大門、中門とともに佐保路門として、計画中であったのか、名が載る。しかし今残るのは、昭和修理により鎌倉時代改造の姿である。組物が鎌倉期に出組に改造されているそうだが、天平創建期の三斗組であれば、軒の出も小さく、印象はかなり違ってくるのではないだろうか。付け加えれば昭和6・7年(1931・2年)修理の前の写真を見ると、白壁ではなく板張りである。天平の姿には程遠い。創建時の部材を残した鎌倉改造の八脚門というのが正解であろう。(参照:「国宝東大寺転害門調査報告書」奈良文化財研究所 2003年)

                 

                 

                      転害門

(注)2012年10月撮影

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