一葉一楽

寺社百景

浄土寺 3ー 本地垂迹

2021-08-18 11:45:44 | 寺院
三間社八幡神社は嘉禎元年(1235)遷宮、七間の拝殿は延応元年(1239)作之と「浄土寺縁起」は云う。観阿最後の造営である。その規模からみると単なる鎮守とは云えない。大仏様を取り入れた桁行七間の拝殿は大きい。浄土寺伽藍中央の阿弥陀池を分断し参道を造る。あたかも八幡神社がこの伽藍の主人公だと云っているようである。

  

   

(注)2016年3月撮影
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浄土寺2 ー 非浄土

2021-08-11 10:41:51 | 寺院
薬師堂は浄土堂に遅れること三年の建久八年(1197)に上棟と「浄土寺縁起」にある。浄土堂と形・大きさは同じであった様である。本尊は広渡寺の本尊丈六の薬師如来坐像、さらに近隣の九ケ寺の古仏をも安置したとある。まさに収蔵庫の感であるが、これらの寺の再建をとらず、薬師堂に集約したことは、これらの寺々の取り込みが重源の狙いであろう。
この薬師堂は明応七年(1498)焼失、現薬師堂が再建されたのは永正十四年(1517)である。創建薬師堂は「作善集」によれば、浄土堂と同じ三間であったが、再建薬師堂は五間となり、軸部は禅宗様が強いが、内部は内外陣と境を設け和様とのことである。聖と俗の間に結界を設けたということで中世密教本堂に変わった。


 

  



(注)2016年3月、2017年5月撮影
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浄土寺1 ー 舞台

2021-08-09 22:30:57 | 寺院
浄土堂は、阿弥陀如来立像を主役とする舞台である。舞台では雲の上に乗った本尊の周りを道俗が行道する。堂舎もまた広がりを持った空間に阿弥陀立像を安置することを目的とする。道俗は阿弥陀仏と接するように同じ空間に在ることを望んでいたのであろう。重源の意図もそこにあったと考えてよいであろう。
本尊の高さは須弥壇を含め7.5m、頭光(放射光)を入れると9.1mとなる、そして堂内部の高さは10.27mである。浄土堂は阿弥陀像を安置するのにギリギリの大きさである、とはいえかえって高さが強調されている。且つ四天柱以外、阿弥陀像の周りには何もない。広がりを持たせた空間である。大仏様は必須であったのであろう。









(注)2016年3月、2017年5月撮影
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