一葉一楽

寺社百景

臼杵八坂神社 ー 脇社2

2024-02-09 20:34:57 | 神社
漂流し辿り着いたのは臼杵城三の丸であった。大友氏改易後の慶長三年(1598)、太田一吉が城主の時である。現在の社殿は明和七年(1770)本殿・拝殿ともに焼失後、臼杵藩十代稲葉弘通のときに再建したもである。焼失した祇園社の棟札には「牛頭天王」とある。災害多発・疫病蔓延のため藩財政窮乏でこの祇園社祭礼が中止されていたなか、疫病退散には「牛頭天王」であったのであろう。安永五年(1776)竣工。大工棟梁は臼杵市浜在の山崎平内重矩、宇野庄衛門吉矩である。
この「祇園社」の建造物の特徴は立体的な彫刻による装飾でる。そして脇障子と脇社を本殿本体の左右におくことである。脇社があるのは、大分県では犬飼町の天神社本殿(弘化三年(1846))、大野町の浅草八幡社本殿(宝暦十四年(1764))、臼杵市の八坂神社本殿(安永五年)、大分市の柞原八幡宮本殿(安政二年(1855))がある。八坂神社を濫觴とするかのようである。脇社にも装飾彫刻を施す。本殿装飾の一部であろうか、意図は分からない。脇社はこの時期この地方だけで終わる。


 
   

 

 

(注)2023年2月撮影

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