前身は禅定院という、建暦元年(1211)の開創という。
廃転後北条政子が覚智入道安達景盛を奉行に禅密兼修の金剛三昧院として再生する。実朝の菩提所・祈願所としてである。無住の説話集「雑談集巻之六」(嘉元三年(1305)成立)に「大臣殿夭亡ノ事アリケルユヘ二・・・出家シテ高野ニ持齋梵行ニテオコナヒケリ。金剛三昧院ニ大臣殿墓所トシテ遺骨ナドオサメ寺ニナリケレバ。コトサラニ奉行シ内外ノ仁ナリケリ」と安達景盛のことが載る。南北朝期に成立した「帝王編年記」では「今年。鎌倉二品禅尼。為故右大臣高野山内建立金剛三昧院。奉行城入道大蓮。本尊正観世音。御身被寵実朝公遺骨。」と補強する。しかし源実朝の遺骨を安置した場所については言及がない。木下浩良は多宝塔の可能性があるという。
多宝塔
経蔵
四所明神社
(注)2021年11月撮影
(参考)木下浩良「源氏一門墓所としての高野山金剛三昧院」高野山密教文化研究所紀要 2020
廃転後北条政子が覚智入道安達景盛を奉行に禅密兼修の金剛三昧院として再生する。実朝の菩提所・祈願所としてである。無住の説話集「雑談集巻之六」(嘉元三年(1305)成立)に「大臣殿夭亡ノ事アリケルユヘ二・・・出家シテ高野ニ持齋梵行ニテオコナヒケリ。金剛三昧院ニ大臣殿墓所トシテ遺骨ナドオサメ寺ニナリケレバ。コトサラニ奉行シ内外ノ仁ナリケリ」と安達景盛のことが載る。南北朝期に成立した「帝王編年記」では「今年。鎌倉二品禅尼。為故右大臣高野山内建立金剛三昧院。奉行城入道大蓮。本尊正観世音。御身被寵実朝公遺骨。」と補強する。しかし源実朝の遺骨を安置した場所については言及がない。木下浩良は多宝塔の可能性があるという。
多宝塔
経蔵
四所明神社
(注)2021年11月撮影
(参考)木下浩良「源氏一門墓所としての高野山金剛三昧院」高野山密教文化研究所紀要 2020