明治元年(1868)箱館戦争の折、松前氏の菩提寺法幢寺は山門と霊廟を除いて焼失、法源寺は本堂・庫裏を焼失、山門のみが残った。
法幢寺
法源寺
龍雲院は、天保十三年(1842)建立の本堂はじめ、庫裏・鐘楼・惣門は無事で、江戸時代の姿を残す。宝暦年間(1751-63)に描かれた「松前屏風」、現存の建造物の建立前であるが、松前城の築城時に城の防御の構えとしたのであろうか、城の背面に並ぶ。
描かれた寺院は門と本堂の極めてプリミティブな形である。再建後も同様であったようで、曹洞宗といえど、修行寺としての性格は全く見えず、塔頭とも見える簡略な形態、即ち本堂・庫裏と寺院の標識としての山門だけである。
龍雲院
(注)2016年7月撮影
法幢寺
法源寺
龍雲院は、天保十三年(1842)建立の本堂はじめ、庫裏・鐘楼・惣門は無事で、江戸時代の姿を残す。宝暦年間(1751-63)に描かれた「松前屏風」、現存の建造物の建立前であるが、松前城の築城時に城の防御の構えとしたのであろうか、城の背面に並ぶ。
描かれた寺院は門と本堂の極めてプリミティブな形である。再建後も同様であったようで、曹洞宗といえど、修行寺としての性格は全く見えず、塔頭とも見える簡略な形態、即ち本堂・庫裏と寺院の標識としての山門だけである。
龍雲院
(注)2016年7月撮影