一葉一楽

寺社百景

佐太神社 ー 大社造3

2020-04-01 22:51:30 | 神社
出雲国二之宮である。嘗ては杵築大社に拮抗する勢力を有していたようである(江戸時代、出雲大社の神領327町歩に対し、佐太神社は280町歩であった)。「出雲国風土記」秋鹿郡に「佐太の御子の社」とあり、神名火山(朝日山)の山下に「佐太の大神の社」があるという。岩波書店「日本古典文学大系」本では両社は同一とするが、疑問。なお記紀には記載がない。「延喜式神名帳」には「佐陁神社」とし一座であるが、その後祭神は増加し、現在正中殿・南殿・北殿の三殿に十二座である。
「鎌倉遺文」(14巻)に「卜部兼文勘文」に「寛治五年(1091)・・・、大神宝殿・二若宮神殿・・・焼亡」とあり、平安後期には三棟並列となっていたようである(和田嘉宥「佐太神社の変遷について」日本建築学会中国支部研究報告集 第18巻 1994)。大社造であったか否かは不明。
現在の社殿は文化四年(1807)の造営である。正中殿・北殿は出雲大社本殿に倣うが、南殿は北殿と対称をなし、神座は正中殿を向く。三殿の構成は文化以前も同じであったようだが、残る貞享元年(1684)の指図版では、心御柱や内部間仕切りが必ずしも延享元年(1744)造営の大社本殿と同一ではない。また貞享以前の指図では、正中殿に心御柱はなく、南北殿にある。心御柱が大社造の必須条件だとすれば、佐太神社は出雲大社に対抗しうる力を矜持していたということか。


  






(注)2019年11月撮影
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