一葉一楽

寺社百景

厳島神社 ー 和光同塵

2020-08-30 14:04:20 | 神社
平清盛の自筆と云われる「平家納経願文」では、「伊都伎嶋大明神」は「観世音菩薩之化現」であり、「厥霊験威神言語道断」と云う。「今生の願望己に満ち、来生の妙果宜く期すべし」と「極楽に生まるるを望む」とある(小松茂美「平家納経の世界」中公文庫 1995)。「願文」の冒頭に「和光同塵」と厳島神社が本地垂迹であることを云い、またその社殿を「金殿玉楼」と表現する。寝殿造は斯くやであったのかと思わせる姿であり、清盛にとっては瀬戸内は自らの館であり、厳島神社は海を池に見立てた浄土庭園であったとも云える。
現社殿は清盛の時代のものではない。清盛時代の社殿は仁安三年(1168)神主佐伯景弘の造営と伝える。平家納経と同時代である。正安元年(1299)と奥書のある「一遍聖絵」の社殿は、仁治二年(1241)遷宮の社殿そのものではないと云われているが、海に向かって廻廊で閉じられており、館であることを印象付ける。
本殿には六棟の玉殿を設けているが、寝殿造の住居、人の住まいのなかに神の住まい、宮殿を安置したとも云える。(三浦正幸「神社の本殿」吉川弘文館 2013)。




    

 

(注)2012年5月撮影
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