一葉一楽

寺社百景

貫前神社 ー 式年造替のかたち

2016-02-21 16:40:29 | 神社
現本殿は寛永十二年(1635)造営で、高さ10m余の入母屋造である(文化財建造物保存技術協会編「重要文化財貫前神社本殿及び拝殿保存修理工事報告書」2014.3)。その前身本殿は今仮殿地にある日枝神社であったと云われている。三間流造である。現本殿は単層であるが、内部に二階を作り神座を置く。前本殿では、このような特殊な内部構造を実現するのは不可能である。あくまで伝承なのかも知れないが、鈴木近江守長次が現本殿を採用した根拠が知りたいところである。

仮殿跡地
 伊勢外宮  二十二末社  日枝神社

惣門 楼門

  拝殿

     本殿

(注)2015年10月撮影 ⒸKanju

長元三年(1030)の「上野国交替実録」には三十年毎の造替とあり、玉垣、瑞垣に囲まれた、現本殿とほゞ同じ高さの専玉殿、さらに仮玉殿をも合わせ、大垣、荒垣と板塀に囲まれた姿を記載している。畏敬というよりは、隔離されているといったほうがふさわしい。また現殿地では、仮殿地では可能かも知れないが、配置するのは難しい。
貫前神社の式年造替は建造物も含め、連続性はなく、極めて断続的であったのでは。二神二社説も捨てきれないが。伊勢神宮主体の式年造替の理解では説明のつかないことではなかろうか。


Periodic Renewal in the Region
The momorandum of the provincial governnor said "According to precedent...",way of bureaucratic sayng, "every 30 years the shrine should be rebuilt". There was no concern on the duration of buildings or technical transfer, but was just observance based on the powers of the central governanece.
In the case of Nukisaki-Jinja, the main hall is different from the previous main hall, and that written in the memorandum in its style. Anything like not consecutive,but intermitted.
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