仁治3年(1242)顕真著『聖徳太子伝私記』に載る三重塔露盤銘は荘園の所有権主張のための偽作と云われているが(大山誠一編「聖徳太子の真実」平凡社 2003)、弥勒を本尊とする金堂を欽明十年(638)に、五十年近く遅れ三重塔を発願、更に二十年後の慶雲三年(706)に露盤を設置したとある。年輪年代法による心柱の伐採年は572年と出ているが、100年の狂いがあるといい実際には670年頃と云われており、露盤銘記載の年号は間違いとは言えないようである。いずれにせよ、再建法隆寺、法輪寺より建立は遅れるようである。
その境内の軸線方位は法隆寺・法輪寺が真北から西に8乃至10度偏っているのに対し、中宮寺遺跡と同じ、ほぼ真北である。発掘された境内は109m四方と推定され条里制の一画と一致する。条里制に合わせるために既存建造物(原法起寺?)を破棄してまで法起寺を造営したように見える。且つ前時代の様式を採用してである。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/57/51/f5f22e8041537510fdc9a8204eab0bfe_s.jpg)
(注)2019年6月撮影
その境内の軸線方位は法隆寺・法輪寺が真北から西に8乃至10度偏っているのに対し、中宮寺遺跡と同じ、ほぼ真北である。発掘された境内は109m四方と推定され条里制の一画と一致する。条里制に合わせるために既存建造物(原法起寺?)を破棄してまで法起寺を造営したように見える。且つ前時代の様式を採用してである。
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(注)2019年6月撮影