当麻寺には東西のニ塔が残る。東塔は奈良時代、西塔は平安前期の造営と見られているが、その姿には歴然たる違いがある。黒田義は「東塔は異常な意匠と素朴にして健強な風格、西塔は整然たる構成の発散する一種豊潤な美しさを持つ」という(「大和の古塔」天理時報社 1943)。東塔のニ層・三層が方二間であるのに対し、西塔は方三間であること、そして宝輪が八輪であるのは同じだが、水煙、奇抜さと優美さと印象を異とする。東塔はまだ三重塔としての標準が確立していない、枠に嵌められず、試行錯誤が許された時代に建てられたのであろう。西塔は、いわば標準の完成した頃であろう、技術を自らのものとし、優雅に表現しえたといえよう。水煙に典型的に表れている。
東塔
西塔
(注)2014年2月撮影
造営時期の差は様々な詮索を生むことになったが、無用となった。西塔周縁の発掘調査で古い基壇が見つかったのである(「古寺巡礼 奈良 7 當麻寺」淡交社 2010年、橿原考古学研究所による調査だが、その報告書は未見)。再建の可能性が否定できなくなった。それも白鳳期の瓦も出土し当麻寺創建と変わらぬ時期の造営である。不協和音はなかった。
残るのは、何故山裾に建てたのかという疑問である。
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(注)2014年2月撮影
造営時期の差は様々な詮索を生むことになったが、無用となった。西塔周縁の発掘調査で古い基壇が見つかったのである(「古寺巡礼 奈良 7 當麻寺」淡交社 2010年、橿原考古学研究所による調査だが、その報告書は未見)。再建の可能性が否定できなくなった。それも白鳳期の瓦も出土し当麻寺創建と変わらぬ時期の造営である。不協和音はなかった。
残るのは、何故山裾に建てたのかという疑問である。