一葉一楽

寺社百景

当麻寺(1) ー 双塔の不協和音

2014-11-20 14:26:05 | 寺院
当麻寺には東西のニ塔が残る。東塔は奈良時代、西塔は平安前期の造営と見られているが、その姿には歴然たる違いがある。黒田義は「東塔は異常な意匠と素朴にして健強な風格、西塔は整然たる構成の発散する一種豊潤な美しさを持つ」という(「大和の古塔」天理時報社 1943)。東塔のニ層・三層が方二間であるのに対し、西塔は方三間であること、そして宝輪が八輪であるのは同じだが、水煙、奇抜さと優美さと印象を異とする。東塔はまだ三重塔としての標準が確立していない、枠に嵌められず、試行錯誤が許された時代に建てられたのであろう。西塔は、いわば標準の完成した頃であろう、技術を自らのものとし、優雅に表現しえたといえよう。水煙に典型的に表れている。

   東塔
  西塔
(注)2014年2月撮影

造営時期の差は様々な詮索を生むことになったが、無用となった。西塔周縁の発掘調査で古い基壇が見つかったのである(「古寺巡礼 奈良 7 當麻寺」淡交社 2010年、橿原考古学研究所による調査だが、その報告書は未見)。再建の可能性が否定できなくなった。それも白鳳期の瓦も出土し当麻寺創建と変わらぬ時期の造営である。不協和音はなかった。
残るのは、何故山裾に建てたのかという疑問である。
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小丹波熊野神社 ー 桟敷となった境内

2014-11-09 16:34:09 | 神社
全国に散在する3000余の熊野神社の一つである。文政十三年(1810)完の「新編武蔵風土記稿」多摩郡小丹波村の項に「熊野社」として載る。「本社六尺四方神体ハ円鏡ナリ拝殿二間半ニ六間前ニ鳥居ヲタツ」とある。本殿は安永八年(1778)に焼失。翌年現位置に再建という。「風土記稿」記述はこの景色である。本殿は今覆屋の中に収まる。



舞台兼門は石階を跨って建つ。「東京都文化財ウィーク2014」の小冊子には、明治十三年(1880)築とあり、極めて目的に忠実な、機能のみの建物である。萱葺の上を檜皮で覆い耐久性を狙っているようだが、造営時からかは分からない。神社が祭礼のみならず、農村歌舞伎・芝居興行の場所を提供するようになったのには、江戸時代村の鎮守でもなかった神社の、それも京都吉田家にも認められた神社の、形の違った復権であろうか。或いは村民の回帰か。
このような舞台は、奥多摩から甲州にかけて、神社だけではなく、寺院にも見られる。山間故に平地が少なく、斜面を活用する以外手立てがなかったのであろう。


   

(注)2014年11月撮影
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