神部神社、大歳御祖神社、浅間神社三社の総称である。嘗ては、今は境内社となっている麓山神社を含めて四社並列に、文久元年(1861)発行の中村高平著「駿河志料」では記載されている。神部神社は崇神天皇の代、大歳御祖神社、麓山神社は応神天皇の代に創建と伝える。浅間神社が富士山本宮浅間大社を、醍醐天皇の延喜元年(901)この地に勧請した時、既に鎮座していたということであろう。
現在の静岡浅間神社は、木原木工允義久を大工棟梁として寛永十八年(1641)に竣工したもの、安永二年(1773)、天明八年(1788)と二度の火災で焼失後、文化元年(1804)から慶応元年(1864)にかけ、配置、構造、規模を踏襲し再建された(重要文化財静岡浅間神社修理委員会編「重要文化財神部神社浅間神社大歳御祖神社修理工事報告書」 1977,1982,1988).
手水舎
拝殿
本殿
「駿河志料」によると、「こは神殿は惣社相殿なるに依て、拝殿の方を神造の形ちに作れりとぞ」とあり、富士山本宮浅間大社では本殿をニ層とするが、ここでは拝殿をニ階ニ層としたとある。その棟高は本殿の棟をしのぐ。即ち拝殿二階からは本殿を下に見ることになる。本殿は山腹にあり、拝殿とは隔離されているとはいえ、明らかに拝殿重視の建て方である。
麓山神社
八チ戈神社
(注)2015年4月撮影
現在の静岡浅間神社は、木原木工允義久を大工棟梁として寛永十八年(1641)に竣工したもの、安永二年(1773)、天明八年(1788)と二度の火災で焼失後、文化元年(1804)から慶応元年(1864)にかけ、配置、構造、規模を踏襲し再建された(重要文化財静岡浅間神社修理委員会編「重要文化財神部神社浅間神社大歳御祖神社修理工事報告書」 1977,1982,1988).
手水舎
拝殿
本殿
「駿河志料」によると、「こは神殿は惣社相殿なるに依て、拝殿の方を神造の形ちに作れりとぞ」とあり、富士山本宮浅間大社では本殿をニ層とするが、ここでは拝殿をニ階ニ層としたとある。その棟高は本殿の棟をしのぐ。即ち拝殿二階からは本殿を下に見ることになる。本殿は山腹にあり、拝殿とは隔離されているとはいえ、明らかに拝殿重視の建て方である。
麓山神社
八チ戈神社
(注)2015年4月撮影