三門の先に本堂がある。明治14年(1881年)に焼失後昭和9年(1934年)に再建された仏殿兼法堂である。三門は元応元年(1319年)東福寺が全焼した後応永年間(1394-1427年)に再建され、今に残る。また僧堂、東司、浴室も残る(太田博太郎「東福寺伽藍について」日本建築学会研究報告1949年)。安永9年(1780年)刊行の「都名所図会」には焼失した重層の仏殿そして単層の法堂も描かれている。
三門
禅堂
東司
東福寺建立は藤氏長者九条道家の発願である。藤原氏九条家発祥の地に真言・止観(天台)・禅門の三宗兼学の道場を、そして宋風であることを意図し建立した。当初は中心伽藍は三門・仏殿で、法堂は遅れて18年後に完成している。元応元年(1319年)創建伽藍焼失後の再建時も、「東福紀年録」によれば藤氏長者一条経通により先ず仏殿であり、法堂は仏殿上棟の81年後の完成である。藤氏長者の念頭にあるのは、仏殿のみであり、法堂は考えていなかったように見える。同じように三宗兼学であった建仁2年(1202年)創建の建仁寺、開基は源頼家、開山は道家の大叔父慈円が非難した入宋僧栄西、が九条道家の頭の中にあったのではなかろうか。4代鎌倉将軍の親元としての誇示であろうか、或いは追従であろうか。あくまでも、今流行の禅宗も、であったのであろう。
龍吟庵
(注)2009年9月撮影