12代門主教如が家康の寺地寄進を受けてまず建立したのは阿弥陀堂であった。慶長八年(1603)である。翌年西本願寺とは反対の北に祖堂(御影堂)が完成する。東本願寺伽藍の成立である。一方西本願寺は、元和三年(1617)失火により両堂、御影堂・阿弥陀堂が焼失し、寛永十三年(1636)御影堂を再建する。桁行62.1m、梁間53.8m、一重の現御影堂である。この時の東本願寺御影堂の規模は判らぬが、宣如上人は二重の屋根とし、桁行63.6m、梁間45.5mの御影堂に造替する。なお桁行33.8m、梁間48.0mの阿弥陀堂造替は寛文十年(1670)である。東本願寺をして、諸行無常を感じせしめ、悲嘆に暮らしめた四度の両堂焼失はこの後、天明八年(1788)、文政六年(1823)、安政五年(1858)そして元治元年(1864)である。「何事も思召立候ことの成行ほどのことはあれども、成らずといふことなし。人の信なきことばかり、・・」と歎いたのは教如であったが、法義相続第一にせざるを得ない状況となったのである。両堂再建が成るのは明治二十五年(1892)であった。


(注)2022年9月撮影









(注)2022年9月撮影