一葉一楽

寺社百景

武田八幡宮 ー 惣領の誇示

2017-05-10 14:12:11 | 神社
残る棟札に「天文十年辛丑十二月 武田八幡宮御宝殿造営功畢」とあり、大檀主は武田晴信、小檀那武田太郎義信とある。この天文十年(1541)六月に晴信は信虎を追放し、甲斐武田氏の棟梁となっている。「天文四年(1535)」の墨書がある巻斗もあり、信虎の時代から造営が始まっていたようである。武田八幡宮は甲斐武田氏の祖武田信義の居館跡といわれる地にあり、氏神として崇拝してと云われており、その造営、信虎にとっては、甲州統一の、引き継いだ晴信は、棟梁としての誇示があったといってもおかしくない。ここには信虎と晴信と間、また晴信と義信の間に断絶はない。
神社の軸線は一直線とは言い難く、本殿・拝殿、神楽殿・楼門、三の鳥居・二の鳥居と僅かなズレがある。「甲斐国社記・寺記」に「天文年中武田晴信朝臣御本社其外鳥居等に至迄御再建」とあり、正面性を意図して避けたとも考えられるが、本殿のある場所は山腹を開削したと見られることから、地形故、且つ信虎・晴信の本殿の場所をより高所に移した可能性もある。






本殿は大型の三間流造である。在地の大工番匠による。彩色だけでなく、線刻などもあり、また正面扉には金箔は張られているそうで、華やかさが演出されている。箱棟の両端にある鬼板は目を引く。地方色が豊かで、甲斐の自負を感じる。本殿に祀られているのは、仲哀・応神天皇・神功皇后の八幡三神に、武田武大神が相殿されている。地主神であろうが、武田の名とその土地を主張してやまない。








(注)2017年3月撮影

The shrine is on the mountainside. At the foot of the mountain the site of Takeda Nobuyoshi,the founder of Takeda clan, was there. And he worship it as the tutelary deity.
Takeda Nobutora started to re-build the shrine, and finished the construction by his successor, Harunobu(Shingen),in 1541.
The honden is 3-bays on the large side. Faded, but still remains vermillion lacquer on the pillars and tie beams. The front tobira is covered in golden leaf, same as Kubo-Hachiman-Jinja shrine. Gold is associated with perfect or eternity. Takeda Shingen might intend to last the clan eternally. Oni-Ita are attached on both ends of the ridge, to ward off evil.
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