一葉一楽

寺社百景

宇佐神宮 ー 託宣

2023-04-15 20:14:54 | 神社
大隅、日向の隼人の反乱は九州の兵を主力に養老五年(721)一年半後平定された。斬首された者、捕虜となった者合わせて千四百人余りという(「続日本紀」)。これが豊前の神が八幡神として中央と交叉する、また宇佐神宮の放生会のきっかけとなった(「扶桑略記」)。正史への初見は「続日本紀」「遣使於伊勢神宮。大神社。筑紫住吉。八幡二社及香椎宮。奉幣告新羅無礼状。」である。そして天平十二年、広嗣の乱のとき「詔大将軍大野東人令祈請八幡神焉」と国家鎮護の神として確立した。祈られる神である。八旒の幡、八幡神は軍神であり、かつ官製神であったのでは。「続日本紀」孝謙天皇天平勝宝元年に「八幡大神託宣向京」、東大寺大仏礼拝のためであるが、神からの意志表明である。「神我天神・地祇を率ゐいざなひて」の大仏礼拝であった。前殿・後殿と宮殿風の社殿を構成し、伊勢・宇佐八幡と並び称されるようになるきっかけとなった。

  

  

   

(注)2023年2月撮影

呉橋

(注)1971年8月撮影



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする