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寺社百景

平等院 ー 栄花物語続編

2020-12-11 12:00:00 | 寺院
平安時代を語る「大鏡」、「水鏡」や「愚管抄」等の作者の視点は「ただ私事のみであって、国家の公事ではない」と、和辻哲郎は「日本倫理思想史」でいう。「栄花物語」もまた歴史書だが、その視点もまた私事のみである。藤原道長の「往生要集」への傾倒とその実践である。華麗に且つ讃美的に描く正編と較べ、続編では叙事的に藤原道長没後を描く。平等院鳳凰堂も「扶桑略記」で「極楽世界之儀」とまで表現されているにも拘わらず、「関白殿(藤原頼通)は、宇治に御堂めでたく造らせたまひて、籠りおはします」(「栄花物語 巻第三十七 けぶりの後」)とだけの表現である。これは治暦元年(1065)、平等院鳳凰堂造営の十二年後のことである。
「扶桑略記」は「永承七年(1052)三月廿八日き癸酉。左大臣捨宇治別業為寺。安置仏像。初修法華三昧。号平等院。」、その翌年「天喜元年(1053)三月四日甲辰。関白左大臣平等院内建立大堂。安置丈六弥陀仏像。啒百口高僧。設其供養。准御斎会。仏像荘厳。古今無双。」とある。頼通は鳳凰堂に先立つこと永承元年(1046)興福寺の創建伽藍全焼に際し、その再建に陣定を主導。永承五年(1050)には、法成寺新堂の供養をしている。鳳凰堂建立のあとには、天喜六年(1058)全焼した法成寺の再建と、頼通の作善集をみるようである。ただ受領の富の集中があったためであるが。
平等院は滅罪のためという。鳳凰堂は極楽浄土を模した造形であるという。頼通にとっては観想の場であったようである。









(注)2014年12月撮影

参考文献;清水擴「平等院の伽藍とその性格」東京工芸大学紀要 1985
     清水擴「法成寺の伽藍とその性格」日本建築学会計画系論文報告集 1986
     藤井恵介「構造から意匠へ」玉蟲敏子編「講座日本美術史 第5巻」東京大学出版会 2005
     山中裕他校注・訳「栄花物語」新編日本古典文学全集 小学館 1998
     上島享「日本中世社会の形成と王権」名古屋大学出版会 2010
長岡龍作「救済の場と造形」「日本思想史講座1-古代」ぺりかん社2012
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