一葉一楽

寺社百景

金蓮寺 ー 空間の階層

2016-07-25 13:20:21 | 寺院
天保七年(1836)と序にある渡辺政香「参河志」に「頼朝公建立藤九郎盛長造立同国七御堂の内なり。昔真言宗なり。別堂不動明王を安置す、弘法大師の作にて古尊なり。霊験度々有之、国中の貴賤群集せり。今の本尊は阿弥陀なり」とある。昭和二十八、二十九年(1953、4)の解体修理前は寄棟、本瓦葺で、正面三間桟唐戸であった。東側に小室はない。禅宗寺院の体裁であるが、曹洞宗になったのは寛政年間(1789-1801)と言われている。桟唐戸になったのは、それより後の弘化(1844-1847)と考えられている。ただ現状は創建時の姿の論理的推定を具現化した結果である(金蓮寺弥陀堂修理委員会編「国宝金蓮寺弥陀堂修理工事報告書」1954)。



  



(注)2016年4月撮影 ⒸKanju

堂正面に石階もしくは木階がない。解体修理前は廻縁が低く必要なかったかも知れないが、創建当時の姿に復元した今では東側に石を置き、階段の代わりとする。不特定多数を拒絶しているように見える。堂の中は、天井は折上二重小組格天井である。阿弥陀像を安置する内陣は来迎柱を後方に下げるも、さらに天井は折上げ、仏の場であることを示し、人の場と区別する。化粧屋根裏とはしておらず、断絶の関係ではない。孫庇には吹き抜け、小室を設け、意匠的には眼につくが、あくまで堂内折上小組格天井の下だけの世界で、吹き抜けも参拝者のためではなく、極めて個人的であったのではないか。武家社会ではあったが、武士と折上小組格天井とは似合わない。九条家領であったことを考えると、その関係かもしれない。


The veranda and the latticed shutters in the front, and also the adjacent room give an impression of living space. The interior, both inner sanctum and worship hall, has a coved, coffered lattice ceiling, inner sanctum is distinguished by further coved ceiling. It is as if human and Buddha statues dwell in a same space. It might be a private Buddha statue hall when it was founded.
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