横浜港大桟橋が完成したのは明治二十七年(1894)、隣接する新港埠頭は明治三十二年(1899)着工、大正六年(1917)完成である。赤レンガ倉庫は新港埠建設中に保税倉庫として、妻木頼黄率いる大蔵省臨時建築部が担当し、明治四十四年(1911)に2号館が竣工し、当時の先端設備を導入した1号館は大正二年(1912)に竣工した。
耐火性に優れた赤レンガを倉庫に使ったのは、関東大震災以前としては、当然であったのであろう。装飾は破風板下のデンティルでアクセントをつけているのみである。倉庫として使われたのは平成元年(1989)まで。もっとも1960年代後半には立入禁止となっていた保税倉庫としては役目は終わっていたようであるが。当初の役目が終わった時点が、廃墟への始まりであった。
用途の変更は、文化・商業施設として、レトロな雰囲気を残した再出発であり、廃墟への道の返上である。再生と云っていいのか疑問である。
(注)2016年12月撮影
(注)1970年撮影
耐火性に優れた赤レンガを倉庫に使ったのは、関東大震災以前としては、当然であったのであろう。装飾は破風板下のデンティルでアクセントをつけているのみである。倉庫として使われたのは平成元年(1989)まで。もっとも1960年代後半には立入禁止となっていた保税倉庫としては役目は終わっていたようであるが。当初の役目が終わった時点が、廃墟への始まりであった。
用途の変更は、文化・商業施設として、レトロな雰囲気を残した再出発であり、廃墟への道の返上である。再生と云っていいのか疑問である。
(注)2016年12月撮影
(注)1970年撮影