一葉一楽

寺社百景

高野山金剛峯寺2 ー 不動堂

2022-02-19 17:30:25 | 寺院
もと一心院谷にあったが、明治四十一年(1908)現在地に移築。鳥羽上皇の皇女八条女院の発願で、建久八年(1197)行勝上人が建立という。寝殿造風で本尊は当初阿弥陀如来であったという、正面には心字池と、阿弥陀堂であった可能性が強い。この不動堂に先立って大会堂が壇上に、同じく鳥羽上皇の皇女五辻斎院の発願で、安元元年(1175)造営されており、浄土信仰が広まったようである。

 

  

(注)2021年11月撮影

(参考文献)鳴海祥博「国宝金剛峯寺不動堂」建築史学28巻 1997
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閑話休題:横浜赤レンガ倉庫 ー 廃墟と再生

2022-02-09 10:38:28 | 住宅等
横浜港大桟橋が完成したのは明治二十七年(1894)、隣接する新港埠頭は明治三十二年(1899)着工、大正六年(1917)完成である。赤レンガ倉庫は新港埠建設中に保税倉庫として、妻木頼黄率いる大蔵省臨時建築部が担当し、明治四十四年(1911)に2号館が竣工し、当時の先端設備を導入した1号館は大正二年(1912)に竣工した。
耐火性に優れた赤レンガを倉庫に使ったのは、関東大震災以前としては、当然であったのであろう。装飾は破風板下のデンティルでアクセントをつけているのみである。倉庫として使われたのは平成元年(1989)まで。もっとも1960年代後半には立入禁止となっていた保税倉庫としては役目は終わっていたようであるが。当初の役目が終わった時点が、廃墟への始まりであった。
用途の変更は、文化・商業施設として、レトロな雰囲気を残した再出発であり、廃墟への道の返上である。再生と云っていいのか疑問である。




(注)2016年12月撮影

   

(注)1970年撮影

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