谷保天満宮は菅原道真を主祭神とし、道真の三男と伝承のある道武を相殿に祀る(「尊卑分脈」にはこの名はない。「武」は武蔵国の「武」か)。道武の彫った道真像を祀ったのが濫觴だと云う。別当寺は安楽寺、天暦年間(947~957)の開創という。村上天皇の御宇である。また北野天満宮の創建と時を同じくする。この安楽寺の中興は津戸三郎為守と云われているが、為守は法然に帰依、安楽寺(当時「安楽寺」と呼んでいたか不明)に入った。極楽浄土へ導く神は天神、菅原道真崇拝に重なる。また為守が道真に繋がる血筋であるとしていたからかもしれない。「天満宮」が本宿から安楽寺のある現在地谷保に遷座したのは、安楽寺開創の二百四十年後養和元年(1181)と云われている。「大宰府」の完成である。これだけでは、後宇多天皇の勅、藤原経朝筆の額「天満宮」(建治元年(1275)の年号がある)には足りない。しかし「天満宮」はこの時あった。
現在の社殿は江戸末期、地元の大工の手による。別当安楽寺は衰退し六坊が「滝之院」一宇のみとなっていた。浄土信仰が衰退、より現世利益の強い天神信仰が盛んとなったと云ってよいだろう。
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(注)2021年5月撮影
現在の社殿は江戸末期、地元の大工の手による。別当安楽寺は衰退し六坊が「滝之院」一宇のみとなっていた。浄土信仰が衰退、より現世利益の強い天神信仰が盛んとなったと云ってよいだろう。
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(注)2021年5月撮影