特別保護建造物指定前、明治三十五年(1902年)阿弥陀堂の写真が「史跡白水阿弥陀堂境域復元整備報告書」(いわき市教育委員会 1994年)に載っている。水田に囲まれた阿弥陀堂は、茅葺の屋根は半分落ち、外陣は吹き抜け状態であった。翌明治三十六年一月八日には暴風により倒壊。直接には経年劣化、天災と言えようが、廃仏毀釈による放置といった人災というのが正解であろう。
(注)1967年9月撮影
白水川が経塚山にあたり、蛇行し湿地を形成した場所に手を加え、浄土庭園にしたのであろう。「願成寺縁起」がいうとおり四神相応の地であり、絶好の境致の選定である。阿弥陀堂は苑池の中島にあり、南面する。白水阿弥陀堂は仏壇下の古材墨書によれば、永暦元年(1160年)建立であるが、南面するのは、やや先行するがほぼ同時期の奥州藤原氏二代基衡の毛越寺、その妻の観自在王院と同じである。三代藤原秀衡の無量光院では東西に中島を設け、その西中島に平等院鳳凰堂を模した阿弥陀堂があった。東面していた。しかしここ白水阿弥陀堂のように、南面し一間四面堂の阿弥陀堂を建立した例はないのではなかろうか。宝形造でなくても、阿弥陀仏を祀らずに、浄土を表現できないが、池もまた必要条件と当時は考えられていたのではなかろうか。
(注)2014年3月撮影