ビビッド能里子トーク・サロン

医学的にも珍しい満十年の認知症介護について。自己分析や気分転換、幸せを感じる心の癖の付け方、メチャ料理など楽しく書きます

老衰は自然死

2021-11-20 10:49:38 | エッセー

 

朝刊で精神科医で「痴呆症」を「認知症」と言う言葉に変える努力なさった

長谷川一夫先生が92歳で老衰でお亡くなりになったことを知り、心からご冥福

をお祈りした。私も長谷川先生のご功績は、自分なりに理解していたが、本当に

真心のある立派な先生だと、ご尊敬申し上げていた。

  現在は男性の平均寿命は81・6歳なので、それより10年長生きなさったので

生物的な観点から見ても、自然死をなさったのだと思った。

また、最近こそ「腸脳相関」と言われているが、30年前はそんな概念はなかった。

その頃私は天性の腸の弱さに、さまざまな手段を講じていたが、効き目はなかった。

でも、「お腹から齢をとる」こともハッキリ認識していた。

読売新聞の記事で「カプセルに包まれそのまま腸まで届くヴィフィズス菌が出た」と

読んで、早速取り寄せた。夫は消化器は丈夫だったが、私は「これは夫にも必ず効果が

あるはず」と直感し、それ以来ほぼ30年間一日も欠か二人で飲んでいた。

随分前だがある大学の講座で「近い未来には腸から精神的治療もできるかも知れない」

と学習し、「その頃すでに認知症だった夫にも、絶対に良い効果があるはずだ」と確信

できた。さまざまな余病を持つ夫を、「どうしても平均壽命より10年長生きさせる」

と目標を持ったのは、長年のそんな根拠や、歴史があるからだ。

 

1991年2月「私は自分をこう変えたい」(同文館出版発行)の中の1章は

「大脳の不思議な世界をのぞく」で、当時「右脳革命」で有名な日本医科大学教授

「品川嘉也先生」との対談だった。その頃は「大脳生理学」と言われていたが

専門的ではなく雑学的だが、大脳についてはそれなりの知識があったからこそ、先生

との対談が実現できたのだ。今夫は89歳だが、長谷川和一夫先生と同じ年齢までどう

しても生きていて欲しい。私にはヒーラーとしての特技もあるし、さらにひと月前から

また新しい方法をとり入れた。「またがんばろう!」と、心燃やした今朝だった。

 

 

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老衰は自然死

2021-11-20 10:49:38 | エッセー

 朝刊で精神科医で「痴呆症」を「認知症」と言う言葉に変える努力なさった

長谷川一夫先生が92歳で老衰でお亡くなりになったことを知り、心からご冥福

をお祈りした。私も長谷川先生のご功績は、自分なりに理解していたが、本当に

真心のある立派な先生だと、ご尊敬申し上げていた。

  現在は男性の平均寿命は81・6歳なので、それより10年長生きなさったので

生物的な観点から見ても、自然死をなさったのだと思った。

 また、最近こそ「腸脳相関」と言われているが、30年前はそんな概念はなかった。

その頃私は天性の腸の弱さに、さまざまな手段を講じていたが、効き目はなかった。

でも、「お腹から齢をとる」こともハッキリ認識していた。

読売新聞の記事で「カプセルに包まれそのまま腸まで届くヴィフィズス菌が出た」と

読んで、早速取り寄せた。夫は消化器は丈夫だったが、私は「これは夫にも必ず効果が

あるはず」と直感し、それ以来ほぼ30年間一日も欠か二人で飲んでいた。

随分前だがある大学の講座で「近い未来には腸から精神的治療もできるかも知れない」

と学習し、「その頃すでに認知症だった夫にも、絶対に良い効果があるはずだ」と確信

できた。さまざまな余病を持つ夫を、「どうしても平均壽命より10年長生きさせる」

と目標を持ったのは、長年のそんな根拠や、歴史があるからだ。

 

1991年2月「私は自分をこう変えたい」(同文館出版発行)の中の1章は

「大脳の不思議な世界をのぞく」で、当時「右脳革命」で有名な日本医科大学教授

「品川嘉也先生」との対談だった。その頃は「大脳生理学」と言われていたが

専門的ではなく雑学的だが、大脳についてはそれなりの知識があったからこそ、先生

との対談が実現できたのだ。今夫は89歳だが、長谷川和一夫先生と同じ年齢までどう

しても生きていて欲しい。私にはヒーラーとしての特技もあるし、さらにひと月前から

また新しい方法をとり入れた。「またがんばろう!」と、心燃やした今朝だった。

 

 

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