「インストラクターになるまで、そのレッスンはすべて無料」、まだ指導歴が浅い私にとってはと大変良い条件でした。それから家族の理解を得て、毎週
3回ダンス教師として仕事の後、9時頃から約1時間の特訓を受けました。
期間は初秋から夏までの10か月間でしたが、沢山あるポーズの効果を
一つづつ覚えましたが、それとともに体はどんどん柔らかくなりました。
辛かったのは寒い時期でした、代々木から新宿まで、そこから地下鉄
新宿3丁目駅、徒歩約10分の距離でした。雪の日も雨の日も大風の日も
一日も休まず、先生が待っていて指導して下さる道場へ通いました。
家に帰ると11時近くなり、その日は寝るのは12時過ぎでしたが、翌日
の朝は主婦として夫や子供達の朝食を作り、送り出さなくてはなりません。
また道場で覚えたポーズは、家で復習のため必ず毎日レッスンしました。
今思うと若かったからできたのでしょう。
それからヨーガの歴史などについても、本を読んで私なりに学習しました。
その時代はまだヨーガは一般的ではなく、ヨーガの宣伝活動のためか、都内
や近郊の企業などににデモンストレーションのため、時折出かけましたが
それは無給でした。しかし今思うと毎週3回10か月間は、私にとっては
かなり心身とも厳しい期間でしたが、やはり指導者になるために心が燃えて
いたので、きっと疲れなかったのでしょう。「もう教えても大丈夫でしょう」と先生から言われて「あなたと同じように今インストラクターの特訓を受けている人がいる」と紹介された女性がいました。
その人は昼の時間に指導を受けていたようですが、それから夜の特訓が
終わり、昼に二人で同時に何度か先生の指導を受けました。
その頃の道場はインド人の先生3人でしたので、経営者の先生は日本人
の指導者を養成したかったのでしょう。その女性は同世代でしたが
何故か私に大変きつく接したため、同じ教室で一緒に働くのは嫌で、先生
が行っていた出張指導を希望しました。それから、先生について出張先の
六本木、鎌倉、埼玉、茨木など4か所に出かけ「次回からインストラクター
の小池が指導に伺います」と紹介されました。ところが、地方への出張指導
は早朝に家を出なければならず本当に大変でした。
でも、ダンス学校のクラスレッスンは楽しく、どうしても続けたかった
ので辞めませんでした。
った。ヨーガは「心、体、呼