伊豆・三津シーパラダイスから、静岡県道17号沼津土肥線を
大瀬崎方面へ850mほど進んだ地点に、長浜城跡が存在する。
駐車場の入口には関係者以外立入禁止のバリケードが置いてあるため
初めて訪れた際には入って良いのか躊躇したが、最近になって新たに
国指定史跡の看板も設置されたので、より分かりやすくなっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/fb/1ffa7863663ecdbfae6dd84db44d7f87.jpg)
そんな駐車場へ入ると、まず現れるのが古風なデザインのトイレ。
ちなみに、トイレの隣にある建物は長浜中継ポンプ場。
沼津市で管理している、下水処理関係の施設のようだ。
トイレから奥へ向かって、長浜城に関する各資料が掲示されていた。
まずは長浜城跡模型。実際よりも高さを強調した縮尺で作られている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/0b/27262025a485ddc5256d60df8659a9c0.jpg)
長浜城跡が位置している場所に関する解説に、周辺地形の解説。
周辺の道から、海と風景。そして、長浜城を造った北条氏の解説が続く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/6b/e165e54c73fe26cc193e79fbe22ff423.jpg)
時は戦国時代の終わりとなる、1579年。駿河国へと進行してきた甲斐の武田軍。
これを迎え撃つべく、北条氏の5代目当主 北条氏直は、長浜に伊豆水軍の軍船を
泊めるための港をつくり、梶原備前守(梶原景宗)を配置したのが長浜城の始まり。
その後、1590年に豊臣軍が山中城を突破して小田原城まで進行したことで
水軍拠点としての機能を失ってしまったため、韮山城と共に廃城となった。
三島にある山中城は前に訪れた事があるが、あちらが山の城だったのに対し
こちらは海の城となる。ところが長浜城は、構造的に山城の特徴も合わせて
持っているそうで、このような造りの水軍拠点は全国的にも珍しいのだとか。
なお当時の城の入口(陸側)は、現在の県道17号線が通っている南側にあったようだが
そちら側は道路開通工事の際に、斜面をモルタルで舗装されているため残っていない。
その代わりに、こちらにはいくつかの古い石碑が残っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/86/e8799f70a56cdd03260624b3b47a69a7.jpg)
道路の反対側にも、モルタルで舗装された窪みに1つ祀られている。
現在の入口は、城址東側に建っている弁財天の鳥居がある所だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/3d/14a23c5e4cb5e061613a727965aa7142.jpg)
ただし、この鳥居から続く道は旧道のようで通行止めと
なっているため、そのすぐ横にできた新しい道から登る。
また駐車場には釣堀があるが、こちらは既に閉業しているようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/29/41eb2520af0cf3b32628638845907162.jpg)
というか釣堀の駐車場だった場所を、城址の駐車場にしたかたちか。
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大瀬崎方面へ850mほど進んだ地点に、長浜城跡が存在する。
駐車場の入口には関係者以外立入禁止のバリケードが置いてあるため
初めて訪れた際には入って良いのか躊躇したが、最近になって新たに
国指定史跡の看板も設置されたので、より分かりやすくなっていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/c0/668a14901dd2a621e0126544a3d0de5f.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/fb/1ffa7863663ecdbfae6dd84db44d7f87.jpg)
そんな駐車場へ入ると、まず現れるのが古風なデザインのトイレ。
ちなみに、トイレの隣にある建物は長浜中継ポンプ場。
沼津市で管理している、下水処理関係の施設のようだ。
トイレから奥へ向かって、長浜城に関する各資料が掲示されていた。
まずは長浜城跡模型。実際よりも高さを強調した縮尺で作られている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/d6/8c703bb149f783016f83498c3e403660.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/0b/27262025a485ddc5256d60df8659a9c0.jpg)
長浜城跡が位置している場所に関する解説に、周辺地形の解説。
周辺の道から、海と風景。そして、長浜城を造った北条氏の解説が続く。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/22/0ecdebf25c31cca6853143e2cfa6eaf2.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/39/6b/e165e54c73fe26cc193e79fbe22ff423.jpg)
時は戦国時代の終わりとなる、1579年。駿河国へと進行してきた甲斐の武田軍。
これを迎え撃つべく、北条氏の5代目当主 北条氏直は、長浜に伊豆水軍の軍船を
泊めるための港をつくり、梶原備前守(梶原景宗)を配置したのが長浜城の始まり。
その後、1590年に豊臣軍が山中城を突破して小田原城まで進行したことで
水軍拠点としての機能を失ってしまったため、韮山城と共に廃城となった。
三島にある山中城は前に訪れた事があるが、あちらが山の城だったのに対し
こちらは海の城となる。ところが長浜城は、構造的に山城の特徴も合わせて
持っているそうで、このような造りの水軍拠点は全国的にも珍しいのだとか。
なお当時の城の入口(陸側)は、現在の県道17号線が通っている南側にあったようだが
そちら側は道路開通工事の際に、斜面をモルタルで舗装されているため残っていない。
その代わりに、こちらにはいくつかの古い石碑が残っていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/c4/23e289168226b941e3bde7dc5452a1c0.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/86/e8799f70a56cdd03260624b3b47a69a7.jpg)
道路の反対側にも、モルタルで舗装された窪みに1つ祀られている。
現在の入口は、城址東側に建っている弁財天の鳥居がある所だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/fd/2d8ea8e3a63941a06fed7db0aa0ade1c.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/11/3d/14a23c5e4cb5e061613a727965aa7142.jpg)
ただし、この鳥居から続く道は旧道のようで通行止めと
なっているため、そのすぐ横にできた新しい道から登る。
また駐車場には釣堀があるが、こちらは既に閉業しているようだ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/73/eb/4bf58574847e724208da80a879b8ec70.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/29/41eb2520af0cf3b32628638845907162.jpg)
というか釣堀の駐車場だった場所を、城址の駐車場にしたかたちか。
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