森の中のティータイム

離婚を経験し子供達も独立 
暮らしの小さな発見をノートに。

いつか訪れる「その日」まで

2015-09-25 | 思い・つれづれ
今朝、川島なお美さんの訃報を聴き、入院からのあまりの速さに驚く。
食べ物も満足に食べられない状態でありながら、その一週間前まで舞台
に立っていたとのこと・・。
ご本人はもちろんであるが、それを見守った夫である人はどんなにか辛
かっただろう。

母もそうだったが、死を迎えるその日まで出来るだけ普通に暮らしたい
という思い。 それは周囲の細やかな支えがあってこそ叶う事だと思う。
けれども、どれだけ気を配ったつもりでも、病に侵された本人が本当に
してほしいことの全てを叶えてやれたかどうかは判らないし、ましてや
孤独と恐怖に苛まれた心情を、周囲が察することが出来たかは不明だ。

私も休日にはバタバタと家事を終え、自宅療養中の母の家を訪問していた
けれど、ある時はそっと家の鍵を開けて母が休んでいる床の傍に行って横
たわり、母が息をしているかどうか口元に耳を近づけて気付かれたことが
あった。

母は何とも言えない優しい目をして「大丈夫。生きてるよ」と笑った。
あの母にもう一度会いたい。
そしてもっともっと心を込めて「お母さん、ありがとう」って言いたい。

母の死を受け入れるまで時間がかかったけれど、それは「人は必ずいつか
は死ぬ」という現実を思い知る事だったように思う。
だからこそその時まで「私は精一杯生きたし幸せだったよ」と、家族にも
言えるように生きようと思った。

それは「我儘にしたい放題に生きる」という意味ではなく、「母に恥じな
いよう生きよう」という心に湧き上がるような感情で、それを齎した母と
いう女性は、やはり見事な生き方をしたのだと、娘ながら思う。

お酒を少し口にしただけでアレルギー反応のような症状が現れる私とは正反
対だけど、ワインが大好きだったという川島さんは、女優として見た目にも
かなり気をつけていたという。周囲が思っている以上にもしかしたらダイエ
ットもしていたかもと。たしかに飲酒の習慣がある人のダイエットのやり方
に問題があると危険だとはいう。

けれども、誰であろうと病に侵される。母も食生活には誰よりも気をつけて
いた。 川島さんも彼女なりに精一杯の生き方をしたのだろう。
そういう状態であっても自分のやり方を貫き生き抜いた、強い心の彼女に、
同じ女性として「あっぱれ」と言ってあげたい。
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