森の中のティータイム

離婚を経験し子供達も独立 
暮らしの小さな発見をノートに。

どんなに努力しても

2016-10-25 | 思い・つれづれ
どんなに頑張っても、ダメなことってある。
だから、そんなときはそっとその事(あるいはその人)から距離を置いて
それ以上くよくよ考えないこと、なんとかしようと思わないこと。

「もう限界」と思ったから事件の妻は夫と離れたのだと思う。
私は彼女のように夫の財産など貰えなかったけど、裁判を起こせば恐らく少しは慰謝料などというものを
受け取れたとは思う。夫には財産どころか借金しかなかったけど、同居の母親にはかなりあったから。
それでも、「DVの人には普通の人には分らない『発火点』がある」ということだけは重々知っていたから
参考にした資料にあった「慰謝料」は望まず、「子供たちの最低限の養育費」だけ約束してもらって、一日
でも早く調停を終えたかった。

別居から27年、離婚成立から17年経っても、未だ「いつか急襲されるかも」という恐怖は拭えないけど
離れてずいぶん経ち、その人の残した「傷跡」はもう消えつつあると思っていた。
でも、「燻る」ものはやはり厳然とあり、それが今も私を苦しめる・・・。

「過去への旅は 妄想と 誤った記憶と 名前のすり替えで 混迷する」

以前「クリマイ」で観たエピソードの最後に付けられた「リッチ」という詩人の言葉が、
ずっと心に引っ掛かる・・・。

さあ、どんなに心が重くても、仕事に行かなければ。
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