森の中のティータイム

離婚を経験し子供達も独立 
暮らしの小さな発見をノートに。

物語の中に「小さな真実」を観る

2018-07-30 | 映画ドラマ
少し前の日記で今期のドラマについて少しだけ触れたけれど、私がドラマや映画に何を求めているか
自分なりに考えてみた。好きな俳優さんが出ていることは興味を惹かれることの一つでもあるけど、
それだけにあまりにも現実味がなかったり、ストーリーがつまらなかったりすると、逆に観たくなく
なることも。いくら演技が上手くても、キャラが合わないのでは見る気が薄れる。(キャラが合わない
って感じるのは、要するに演技が良くないってことかな?)

いつも視聴率を稼ぐ女優さんであっても、「高嶺の花」は二話目でどうにもストーリーにリアリティが無く、
断念;

医療モノでは、某チャンネルで放送したドラマの映画版の封切りに合わせて、連日連夜、大キャンペーンを
繰り広げているけれど、食指が動かない。理由は出演している役者さんは割と好きだけど、ご本人たちのイ
メージがどうにもその方々そのものにしか見えないことと、あまりにもエンターテインメント性が前面に出
ていて、取りあげる題材が「命」であるのにも拘らず、主題が脇に追いやられているように感じてしまうこと。

海外ドラマの医療モノは沢山見てきたつもりだけど、それぞれに特徴はありながらも、そのシリーズが好き
でずっと観てきた人以外にとっても、充分見応えがある作品が多かったように思う。医師の迷いや患者の恐れ、
見守る側の様々な事情や迷い。近年、日本のドラマもそれらを参考に脚本が作られているようにも思うけど、
同じに見えても、どこか感情表現が過多だったり、逆に表情の中に「真実」が見えなかったりは、どうして
だろう・・。

演じる役者さんは、そういったドラマをちゃんと研究しているのだろうか・?中には沢山の努力をしている
俳優さんもいるとは思うけど、世界中の良い映画を沢山観て、狭い世界で固まらないでほしいと思う。
多くの若手俳優さんには、もっときめ細かい感情表現が欲しい。大袈裟ではない、本当の悲しみや迷いの。
・・・なんて、素人が生意気かな(笑)

私はそういう繊細な感情を「涙」などではなく「小さな表情の変化や瞳の曇り」などで魅せてくれる本物の
役者さんの演技が観たい。無言の演技の中にこそ、その役者さんの真価が現れているのではないかと思う。

そういう意味でも「透明なゆりかご」2話目は本当に涙が止まらなかった。
今回は女子高生が浴室で産み、家族に見つからないように自転車のカゴに入れられて産院の前に捨てられた
赤ちゃんの話から始まる。片や、糖尿病から網膜症を併発して出産を諦めねばならない女性が、自らの決断
で、リスクを覚悟の上、「産むこと」を選択するストーリーの二面仕立てだった。

 

ただ「話題性と視聴率」を追い求めただけの作品にはない「扱いにくいテーマ」をよくも取り上げたなぁと・・。
そして何より新人女優さんのわざとらしさのない自然さがいい。それから由比先生役の瀬戸康史さんの、
きりっとした中に温かみのある表情や、セリフの一つ一つが生きていて、惹きこまれる☆ 

いつも思うんだけど、どれが本当の瀬戸さんなのかと思うほど、それぞれに全く違う人に見えるのもスゴイ。
海外の作品もよく観ているそうだから、自然に吸収しているのかもしれないけど、これも才能なのかな☆
彼は先日のインタビューで、17歳の時にお母さんが自分に内緒で応募したオーディションに受かって以来、
離れて暮らしているお母さんに初めて「育ててくれて有難う」と言ったとか。このドラマに出会ったことも
あるのだろうけど、うーん・・ウラヤマシイ・・うちの息子からは一度も聴いたことがないな(笑)

まぁこれもあの時神様に「どんな子になっても構いません」とお願いした結果かもしれないしね;
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