
7月25日の金曜日に「カルチャーナイト」というイベントが
ありました。
札幌市内の普段、昼間しか入ることのできない文化施設や公共・民間施設など
100ヶ所を夜間開放して市民が地域の文化を楽しむイベントです。
花火をJRタワーで見る前に、街中をウロチョロしてきました。
せっかくなので、お役所回りをしてみました。
私のブログじゃ、観光の参考にはならないと思いますが・・・。
まず、向かった先は 「北海道庁赤れんが庁舎」
(札幌市中央区北3条西6丁目)


久々に中に入りました。
一階は文書館になっています。
二階は会議室や記念室・樺太関係資料館があります。
廊下には北海道開拓に関する絵画が飾られています。


↑ クラーク博士、別れの絵ですね・・・。
記念館の中です。

歴代の北海道庁長官・知事の写真・肖像画が並んでいます。

執務机でしょうか?
そして、樺太関係記念館です。

樺太の由来ですが、日本では17世紀、サハリン島のを「カラフト」「カラト」
などと呼び、「加良不止」「唐太」「唐戸」などの漢字を当てていました。
北海道アイヌがカラプトと呼んでいたことに由来すると考えられています。
その後、1809(文化6)年に「北蝦夷地」、1869(明治2)年には「樺太」と公式
に呼ぶようになりました。

松前藩がサハリンアイヌと交易を始めた江戸時代から、終戦引揚終了までの
年表が入り口にありました。

南樺太の模型地図

樺太の歴史を語る上で忘れてはいけない「間宮林蔵」の像です。

日露国境 北緯50度線に17個置かれた、中間境界票の複製標石です。

樺太での生活していた人々の生活用品など
悲劇の真岡郵便局

終戦直後の昭和20年8月20日、真岡に進行してきたソ連軍と駐留日本軍の
交戦が起き、通信を確保するという責任感から砲弾が飛び交う中、最後まで
任務を全うした、真岡郵便局の女性電話交換手9人が集団自決する事件が
起きました。
実は、私の曽祖父は一時期、樺太庁の獣医として勤務していて樺太に
住んでいたそうです。終戦前に札幌に戻ってきたので、ソ連軍の侵攻には
遭わなかったのですが、青年期を樺太で過ごした祖父はあまり当時の事を
語りませんでした・・・。
祖父も亡くなってしまい今となっては、もう聞くことも出来ませんが・・・。
樺太関係資料館
札幌市中央区北3条西6丁目 北海道庁赤れんが庁舎2階
開館時間 8:45~17:00 休館日 年末年始