「あほリズム」(721)

2020-08-23 16:16:46 | アフォリズム(箴言)ではありません

          「あほリズム」

 

           (721)

 

 たとえば、会社のあり方が気に入らなければ、被雇用者たちはさ

っさと退職して条件の良いよその会社へ移って行くが、しかし、国

民が国家のあり方を気に入らないからといってよその国へ移ったり

はしない、但し、これまでは。ところが、世界がグローバル化して

国家アイデンティティーが希薄化して、これまで母国に縛り付けら

れていた人々が、暮らし辛い国からまるで会社を辞めるように別の

国へ移住するようになって、人口減少国家は暮らし辛い国、「ブラ

ック国家」だと言うことになる。もしもそうなれば国家でさえも民

営化が求められる。さしずめ過疎化に苦しむ地方の自治体は行政サ

ービスを民間に委ねてはどうだろうか。


ハイデガー「存在と時間」上・下 (11)

2020-08-23 10:24:35 | 「ハイデガーへの回帰」

       ハイデガー「存在と時間」上・下


            (11)


 ようやく「存在と時間」の上巻を、読んだというよりも目を通した

程度で書棚に戻しました。私は、木田元の「ハイデガーの思想」を読

んで、どうしてもハイデガーの「存在と時間」を読みたいと思ったの

ですが、これまでのところ、木田元のハイデガー論とは、つまり〈存

在=生成=自然〉とする存在概念によって〈存在=現前性=被制作性〉

による「人間中心主義的文化をくつがえそう」という企てはいまだ何

一つ語られていません。たぶんそれは木田元のハイデガー論に他なら

ないのではないかと思えてきました。ただ、ハイデガーによる現象学

的存在論は精緻を極め、一般的な世界認識論とは視点が異なるという

ことは良く分りました。たとえば、われわれの世界観とはわれわれの

理性が創り出す世界観でしかなく、われわれが存在しなければそのよ

うな世界「観」、それだけでなく「世界」さえも存在しない、だとか、

また、「存在とは何か?」という問いを但し「一行で答えろ」と言わ

れたとすれば、その設問そのものが答えを限定するように、また、そ

れとは反対に無限に叙述される答えも真理には的中しないように、つ

まり、「存在」という言葉そのものがすでに「答え」を限定している

とすれば、言葉の限界が認識の限界であり、われわれの理性を超えた

世界認識など決して得られるわけがない。つまり、世界の隅々までも

認識できる「絶対的な理性」というものがあるとすれば、われわれの

理性とはせいぜい明かりの届く手元だけの限られた理性に過ぎないと

いうことである。それらは「絶対的な理性」から見ればしょせん誤謬

でしかない。

                          (つづく)