ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「夢の泪」

2024-05-14 10:07:32 | 芝居
4月25日紀伊國屋サザンシアターで、井上ひさし作「夢の泪」を見た(演出:栗山民也)。



東京裁判3部作の夢シリーズ第二弾。

昭和21年、新橋駅近く。
弁護士・伊藤菊治は、継父を慕う秋子の娘・永子、事務所に住み込みで働く田中正と
暮らしている。
亡父の残した法律事務所で働く菊治のもとへは、永子の幼なじみ・片岡健やクラブ
歌手のナンシー岡本とチェリー富士山から数々の騒動が持ち込まれる。
そんな折、妻・秋子が東京裁判においてA級戦犯・松岡洋右の補佐弁護人になるよう依頼される。
事務所の宣伝のため、とりわけ秋子との関係修復のため、菊治も勇んで松岡の補佐弁護人になるが、難問が山積み。
ついにはGHQ の米陸軍法務大尉で日系二世のビル小笠原から呼び出しが菊治にかかる・・・(チラシより)。

芝居の内容に入る前に、まずこの文章にいちゃもんをつけたいとおもいます。
みなさん、これを読んですんなり理解できましたか?
まず、いきなり「継父」が出てくる。これって誰?
次に、やはり唐突に「秋子」という人が出てくる。
これも誰のことなのかさっぱりわからない。
何度も読んで、やっとわかったのは、菊治の妻の名前が秋子で、彼女の「連れ子」が永子、だから、継父というのは永子から見た菊治のことだった。
ではどうしてそういう風に書いてくれないのか。
まったく責任者出てこい!って話です。

菊治(ラサール石井)と秋子(秋山菜津子)は共に弁護士で、いわゆるおしどり夫婦だが、現在離婚の危機にある。
それは菊治の「浮気病」が原因。
秋子の連れ子・永子(瀬戸さおり)、復員兵で住み込みの事務員となった田中正(粕谷吉洋)、
クラブ歌手のナンシーとチェリーなどが入り乱れて賑やかに話が進む。
例によって、冒頭からつまらない唄や合唱を聴かされるがじっと我慢。
たまに面白いセリフがある。
例えば菊治の言う「弁護士依頼人正比例の法則」。
弁護士は依頼人の地位が高ければ高いほど弁護料も高くなる、というだけのことだが(笑)。

ナンシーとチェリーは同じクラブで歌っている。
そこは米軍に接収された帝国ホテルの一室。
二人が「持ち歌」にしている曲がなぜか同じ曲で、しかも二人とも自分の夫が作詞作曲した曲だと主張するため争いが止まない。
二人は菊治の事務所にやって来て、何とかこの問題を解決して欲しい、と手付金代わりに「本物の」洋酒2本を提供し、菊治と共に飲んで陽気に歌う。

永子は8歳の時、母・秋子と菊治が結婚したのでここに来た。

永子の幼なじみ・片岡健(前田旺志郎)は片岡組の組長の息子。
この組は朝鮮人たちの組で、対立する尾崎組が健の父を襲って傷を負わせた。
だが警察に訴えても何もしてくれないので、健は菊治の事務所に助けを求める。

<休憩>
田中正は持ち歌の出所を調べるため、ナンシーとチェリーの夫たちの入院先へ行く。
夫たちは原爆投下翌日の広島に入り、入市被爆していた。
彼らに話を聴くと、軍隊の同じ隊にいた男から、その曲を聞いたという。
彼らはその男の名前をメモしてくれた。
これで歌の本当の作詞作曲者がわかり、二人の歌手の一件は解決。
その後、作曲者は亡くなり、彼の未亡人に会いに行くと、夫の歌を、これからもぜひ歌ってほしい、と言われる。

その後、松岡洋右外相の病状が悪化し、主任弁護人一人を残して補佐弁護人たちは不要とされる。
がっくりくる夫婦。

組員らを束ねることになった片岡健が事務所に来て、日本社会への疑問を口にする。
秋子の恩師(久保酎吉)が、彼と、その場にいた人々に日韓の歴史を教える。
終戦後、日本にいた朝鮮人たちは「捨てられたってこと」。
去年の8月14日までは帝国臣民とされていたが、それは名ばかりだった。
そして翌日から日本人にさせられた。
だがそれは「昇格」ではなかった。
外国人のままだと保護せねばならないから日本人にしたに過ぎなかった。
その間のことを調べようと秋子が役所に行くと、重要書類は終戦直後、焼却されていた。
「証拠隠滅」。

勝った方が負けた方を裁くってどうなの?
永子は言う、「私たちが裁くのよ」。

GHQ の米陸軍法務大尉で日系二世のビル小笠原(土屋佑壱)が述懐する。
米国に住んでいた私たち家族は、戦争が始まると差別され、収容所に入れられた。
父は財産をすべて没収された・・・朝鮮人と同じだ。
「見捨てられた」
このような話が続く。
例によって大衆を啓蒙してやろうという作者の意図が感じられる。
だが考えてみれば不思議だ。
この人の芝居は大人気で、いつも満席状態なのに、なぜこの国の右傾化は止められないのだろう・・。
在日の人々への差別もなかなかなくならないし。

秋山菜津子とラサール石井という異色の顔合わせが面白かった。
それと、土屋佑壱が、最近こういう役にすっかり馴染んでいておかしい。
がっしりした体格と、滑舌のいい話し方と良い声の持ち主なので、似合っている。




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ゼレール作「La Mere 母」

2024-05-07 23:14:26 | 芝居
4月23日東京芸術劇場シアターイーストで、フロリアン・ゼレール作「母」を見た(演出:ラディスラス・ショラー)。



ゼレールの家族三部作の最後となる作品。
これまで「Le Pere 父」(2019年)と「Le Fils 息子」(2021年)を見た。
「息子」では岡本健一が父親役を、岡本圭人が息子役を、若村麻由美が母親役を演じた。
その三人の関係が、今回そのまま同じというのが面白い。
実は、この「 母」が最初に書かれたそうだ。
2010年パリで初演。今回が日本初演。

アンヌはこれまで自分のすべてを捧げて愛する子どもたちのため、夫のためにと家庭を第一に考えて生きてきた。
それはアンヌにとってかけがえのない悦びで至福の時間であった。
そして年月が過ぎ、子どもたちは成長して彼女のもとから巣立っていってしまった。
息子も娘も、そして今度は夫までも去ろうとしている。
家庭という小さな世界の中で、四方八方から逃げ惑う彼女はそこには自分ひとりしかいないことに気づく。
母は悪夢の中で幸せだった日々を思い出して心の万華鏡を回し続ける・・・(チラシより)。

夫ピエール(岡本健一)が帰宅。「少し遅くなった」
妻アンヌ(若村麻由美)は妙に明るい。「今日はどんな一日だった?」
 ずっと会社にいたよ。
 さっき会社に電話したのよ。そしたらあなたはいなかった。
 ・・じゃあ打ち合わせだ。
 そう・・。
彼女は夫が浮気していると疑っている。
そしてまた「今日はどんな一日だった?」
 さっきも同じことを聞いたよ。
こうして妻は何度もぐるぐると同じ話を繰り返す。
しまいに「・・クソビッチたちとやりまくるがいい」とつぶやく様は、もはや狂気。

だが暗転の後、同じシチュエーションが始まる。
夫が帰宅するが、その後は、前と少し違う。
妻は穏やかで、少し沈んだ様子。
夫「何か変だ」「暗いよ」

朝、緑のドレスを着たアンヌは、明るく生き生きとして、軽やかに動き回る。
飛ぶように朝食の用意をしている。
昨夜遅く、息子ニコラ(岡本圭人)が突然帰って来たのだ。
 どうして急に帰って来たんだろう。
(恋人の)エロディと喧嘩したんでしょ。
(エロディは)きっと他の男と寝たんだ・・・。
アンヌの妄想が続く。
アンヌにとって、ニコラの恋人エロディは、自分から息子を奪う悪者なのだ。

ニコラはエロディから連絡がないので、イライラして待っている。
アンヌは新しい赤いドレスを着ている。
 どう?私、いくつに見える?
 一緒にディナーに行きましょうよ。シーフードのお店でワインを飲んで。
 その後、踊りに行きましょ。
 親子だなんて思わせない。
 年下の若い男と踊ってるって・・。
沈んでいるニコルのそばで、一人はしゃぐアンヌ。
その時、エロディ(伊勢佳代)が来る。
喧嘩していたので、ニコラはどうしようかとためらう。
アンヌは二人の間に割って入り、露骨に邪魔するが、結局二人は抱き合って仲直りし、手を取り合って去る。

赤いドレスを着たままワインを飲み、居間で寝ているアンヌ。
エロディが来る。
ずっとニコラからの連絡を待っている、と言う。
彼女はニコラにメッセージを書き、そのメモを彼に渡してください、とアンヌに頼んで帰る。
アンヌは、もちろんすぐに燃やしてしまう。

ニコラはアンヌに「どうしてメッセージを渡してくれなかったの?」
 僕は出て行く。もうここにはいられない。
すがりつく母。
ニコラが出て行くと、舞台は暗くなり、アンヌはテーブルの上の鎮静剤を手に取る・・。

舞台上手の壁が動き、病院の白い壁と白いベッドが出現。
白衣の看護師たちがアンヌに白衣を着せ、ベッドに寝かせようとする。
抵抗するので鎮静剤を打って静かにさせる。

ニコラがそばの椅子に座っている。
アンヌが目を覚ます。
ニコラが手を取ると、喜ぶ。
 ここはどこ?
 あなたが連れて来たの?
 ひと瓶全部飲んだでしょう。それに鎮静剤も。
 リビングで倒れてるのを発見されたんだ。
ニコラは上着を脱ぎ、腕まくりする。
 これから何をするの?
 これからママを抱きしめる。
アンヌは歓喜。
 抱きしめてくれるの?
 そのあと、両手でママの首を絞める。
そして実行。
アンヌは死ぬ。
ニコラは母に近づき、顔を見て泣く。
そこにピエールとエロディが来る。
エロディ「終わったの?」
ピエール「ああ。あいつがやった」
エロディ「私のために」「幸せな瞬間だわ」
ニコラは二人のそばを通って立ち去る。

ベッドのそばの椅子にピエールがいる。
アンヌが気がつく。
 ここはどこ?
 私がここにいるってニコラに連絡してくれた?
 どうして来ないのかしら。
 きっと来るよ。
 日曜日に来るよ、きっと・・・。


「父」の時と同様、同じシーンが手を変え品を変え演じられるので、やはり最初は面食らう。
一体どれが事実でどれがアンヌの妄想なのか、観客は翻弄される。

ここで描かれているのは、いわゆる「空の巣症候群」と呼ばれるものだ。
だが、作者が男性のせいだろうか、女性の描き方には素直に賛同しかねる気もする。
今どきこんな女性がいるだろうか。
彼女には娘もいるが、息子にだけ異常に執着し、彼の自然な成長を喜ぶことができないでいる。
こんなことになるよりずっと前から、彼女には仕事も趣味も友人も、何か打ち込めるものも、何もなかったらしい。
そんな人がいるのだろうか?
夫との関係も、あまりに希薄。
もう少ししたら、孫が欲しいとか思う年齢だろうに、彼女には難しいようだ。

アンヌ役の若村麻由美がすごい。
声の微妙な変化。優雅な、あるいはダイナミックな動き。狂気のさま。
他の誰にこんな役ができるだろうか。
他の3人も好演。

繰り返されるシーンは似ているものの、少しずつ微妙に違う。
そのセリフと段取りを間違えないようにするだけでも大変だと思う。
そして今回、例えばこの日は、昼間「母」を上演して夜「息子」をやるという。
「息子」なんて、これ以上にシリアスな芝居なのに・・・。
どうやって切り替えるのだろう。
役者ってすごい、と改めて思った。
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「デカローグ Ⅳ ある父と娘に関する物語」

2024-05-05 15:56:22 | 芝居
前回の続き、新国立劇場小劇場で見た、クシシュトフ・キエシロフスキ作「デカローグ Ⅳ ある父と娘に関する物語」について。



快活で魅力的な演劇学校の生徒アンカは、父ミハウと二人暮らし。
母はアンカが生まれた時に亡くなった。
父娘は友達同士のように仲睦まじく生活していたが、ある日アンカは「死後開封のこと」と父の筆跡で書かれた封筒を見つける。
その中身を見たアンカがとった行動とは・・・。

父ミハウ(近藤芳正)が出張するので、娘アンカ(夏子)は空港まで見送りに来た。
親子はアツアツで、しばしの別れを惜しむ。
最後に父は「そうだ、電話代と部屋代を払っておいてくれ」
請求書は?
机の引き出しの中。
帰宅後、アンカは引き出しの中から大きな封筒を発見する。
父は、どうも、わざと彼女に発見させようとしたらしい。
だがアンカは目が悪いのか、よく読めない様子。

アンカは眼科医(近藤隼)のところに行き、視力検査を受ける。
医者は、彼女が20歳で〇〇大学の俳優コースに在学中と知って興味津々。
「息子の志望校だ」
どんな試験だった?
・・詩の朗読と・・・
何の詩?
T.S.エリオット。
エリオットかぁ、うちの息子にはやっぱり無理だな・・

検査表の下の方が F・A・T・H・E・R なので、アンカはファーザーと発音してみる。
じゃあ君は英語ができるの?
はい。
じゃあますますうちの息子じゃ無理だな。
でもどうしてファーザーと?
ちょっとした知能テストだよ。

アンカの部屋に恋人ヤレク(坂本慶介)が来るが、彼女はすげない。
オレ、何かした?
別に。・・・帰って。

父が帰る日、アンカは空港の寒い場所で父を待っている。
父が来ると、彼女はいきなり母の遺書を朗読し始める。
父はアンカの頬をはたく・・。

大学で、教授(近藤隼)がアンカとヤレクに演技指導中。
二人は王女とその恋人の役だが、アンカはなかなか役に入ることができない。

アンカは家で、机に向かい、何かの文字を何度も練習している。
その文字が奥のスクリーンに映し出される。

あの封筒の中には別の封筒が入っていて、そこには亡き母の筆跡で「私の死後開封のこと」「アンカへ」とかかれていた。

アンカ「どうしてもっと早く教えてくれなかったの?」
父「お前が10歳になったら言おうと思っていた」
だけどお前はまだ幼過ぎた。
15歳になったら言おうと思い直した。
でもその時は遅過ぎた。お前は大きくなり過ぎていた。
 (ここで当然ながら客席から笑いが起こる)
アンカ「今までパパは嘘をついてた!」
父「(18歳の時)、お前に初めて恋人ができた時、俺は何日も家を空けた・・」
実は、彼は娘を女として愛していて、その気持ちを吹っ切ろうとしていた。
娘もまた・・・。
アンカは19歳の時、妊娠したことがある、と爆弾宣言。
これには父もさすがに驚く。

二人は母の遺品の詰まったトランクを開ける。
実はアンカは、母の遺書を読んではいなかった。
父に見せたのは、母の字を、何度も練習して真似て書いたものだった。
実はミハウも、妻の遺書をまだ読んではいなかった。
二人はキッチンに行き、母の遺書を封筒ごと燃やす。
焼け残った紙をつまみ上げてアンカは読む。
「実はミハウは・・・」
「あとは燃えちゃった」


だがどうしてこんな中途半端なことをする?
読みたければ読めばいいし、読まないつもりなら、完全に跡形もなく燃やせばいいんじゃないか?
まあ二人の揺れる気持ちが、こんなわけのわからない行動に現れているのだろう。
母の遺書のほんの一部ではあるが、その書き方から見て、ミハウがアンカと血がつながっていないことは明白なようだ。
これから二人はどうするのか。
名づけることの難しい関係かも知れないが、彼らの間には、ある強い感情が存在することは確かだ。
そしてそれは、他の誰にも否定したり責めたりすることはできないだろう。
周囲の人々からは奇異の目で見られるだろうが、彼らはお互いなしには生きられないようだ。

親子のこれまでの歩みが少しずつ明かされてゆく過程も面白い。
だがゴミ箱の蓋のところはくどかった。
ミハウがゴミ箱にゴミを入れて閉めるが、数秒たつと、なぜか蓋が自然と開いてしまう。
それが何度も繰り返される。
何度目かで、さすがに笑いが起きたけど、でもこれって面白いのか?
しつこくてくどい。私だったらカットする箇所です。

十戒の第4戒は、「あなたの父母を敬え」。
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「デカローグ Ⅱ ある選択に関する物語」

2024-05-02 21:16:02 | 芝居
4月22日新国立劇場小劇場で、クシシュトフ・キエシロフスキ作「デカローグ Ⅱ ある選択に関する物語」を見た(演出:上村聡史)。



交響楽団のバイオリニストである30代の女性ドロタと、彼女と同じアパートに住む老医師の二人。
ドロタは重い病を患って入院している夫アンジェイの余命を至急知りたいと尋ねる。
ドロタは愛人との間にできた子を妊娠していた・・・。

下手のベッドに男が寝ている。そばで女が見ている。

集合住宅の医師(益岡徹)の部屋を女(前田亜希)が訪問する。
「ドロタです。上の階に住んでいます。ご存じですか」
「ああもちろん。2年前、私の犬を轢いた」
「主人の容態を知りたいんです」
「水曜の3時から5時の間に来なさい」
「今日は月曜日、水曜まで待てません!」
医師が断ると、ドロタは「犬でなく、あんたを轢けばよかった」と捨てゼリフを残して去る。

医師の部屋に若い男(亀田佳明)が来る。
ベランダの鉢植えの世話をして、医師の話を聴く。
カウンセラーなのだろうか。
医師は昔の身の上話をする。男は終始セリフ無く、聴いている。

ドロタは病院に行き、医師と話す。
チェーンスモーカーで、タバコを吸いまくる。
彼女は米国のように「告知」をして欲しいと言う。
医師は「本に書いてあることから言えば死ぬことは確かだが、見込みのないはずの患者が助かった例を幾度も見て来た。
反対に、特に悪くなかったのに死んでいった人もたくさんいた。告知なんてできない」

ドロタはまた医師の家に行く。
またタバコ。
実は、私妊娠してるんです。
子供の父親は夫じゃなくて別の人です。
・・二人を愛することができるんですよ。
私たち、なかなか子供ができなくて。今、この子をおろしたら、年齢的に、もう子を持つことはできません。
でも夫が死ななかったら、子供を産むことはできません。
・・先生は神を信じますか。
神?・・・私は私の神を信じている。
じゃあそのあなたの神にひざまずけばいい、と言い放って女は去る。

医師の家では給湯器の具合が悪い。
そこで、会話の途中、彼は彼女に尋ねる。
お宅では風呂場のお湯は出ますか?
・・鍋で沸かしています。
彼女の部屋でもやはりお湯は出ないようだ。

ドロタは部屋に戻ると、机の上の鉢植えの葉をじっと見ていたかと思うと、全部むしり取る。
恋人ヤネク(近藤隼)が来る。
ドロタの夫アンジェイとは山岳クラブで仲間だったらしい。
「アンジェイのリュック持って来た」とリュックを置く。
もうお葬式の用意?!
持って帰って!

ヤネクから留守電。
だがドロタは出ない。

ドロタは別の若い医師(近藤隼)と面談する。
医師「順調ですよ」
ドロタ「私、堕ろさないといけないんです」
医師「・・順調なのに?」
「ええ」
明日の朝9時に、中絶手術をすると決まる。

ヤネクからの電話にようやく出る。
中絶のことを告げると、彼は驚いたらしく、しばし考えて「アンジェイが死んだら僕と別れるつもりだね」
ええ
僕は君と一緒にいたい!
だが彼女は電話を切る。

病院で、医師は病巣の変化に気づいて驚く。

ドロタはまた医師の部屋に行き、告げる。
いいお知らせです。明日の朝一番に子供を堕ろします。
やめなさい!絶対いけない!ご主人は死ぬ!
言い切れますか?
間違いない。転移していて・・

ところが、その後アンジェイは生き返った。
彼は、まだよろめきながら医師の前にやって来て言う。
妻と僕に子供が生まれるんです!二重の喜び!
・・・幕

妊婦がタバコを吸いまくる。
現代ではあり得ない光景だが、この作品が作られた1988年当時は、喫煙の害について、まだ認識されていなかったのだろう。
この医師には、かつて家族を一夜にして失ったという壮絶な過去がある。
戦争か災害、おそらく戦争でだろう。

十戒の第2戒は、カトリックでは「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない」。
この話とどういう関連があるのかは、よくわからない。







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オペラ「エレクトラ」

2024-04-30 23:46:18 | オペラ
4月18日東京文化会館大ホールで、リヒャルト・シュトラウス作曲のオペラ「エレクトラ」を見た(指揮:セバスティアン・ヴァイグレ、オケ:読売日響)。
演奏会形式。字幕付き。



作家ホフマンスタールとリヒャルト・シュトラウスが初めてコンビを組んだ作品の由。
シュトラウスの申し入れにより、作家がソフォクレスの「エレクトラ」をオペラの台本に仕立てたという。

エレクトラはミケーネの王アガメムノンと妃クリテムネストラの娘だが、父アガメムノンは、クリテムネストラとその情夫エギストによって殺されてしまっている。
エレクトラは亡き父を慕い、父の復讐に執念を燃やす。
彼女には妹クリソテミスと弟オレストがいるが、オレストは外国に行っている。

序曲もなく、いきなり始まる。姉と妹の会話。
エレクトラ(エレーナ・パンクラトヴァ)「二人で父の復讐をしよう」
妹クリソテミス(アリソン・オークス)は、子供を産みたい、子供を胸に抱いて乳をやりたい、女としての人生を生きたい、と歌う。
ここは音楽も柔らかい。
エレクトラは、父の敵討ちを一緒にやってくれるなら、姉らしくして、あなたのお婿さんが来る時、
そばにいてあげる、と甘い言葉をかける。
音楽も甘い。
だがクリソテミスは、私が人を殺すの?この手で?!と両手を見つめて怯える。
彼女は憎しみに燃える姉について行けず、去る。
エレクトラは去ってゆく妹を見て「呪われるがいい」と言い放つ。
彼女は自分一人で復讐をする他ないのなら、そうしよう、と思う。

エレクトラが待っていた弟オレスト(ルネ・パーペ)がついにやって来る。
だが彼は、義父と母に復讐するため正体を隠しているので、彼女は弟だと気づかない。
弟も姉がわからない。
義父に殴られたのか、エレクトラの目には凄みがあり、頬は瘦せこけている。
彼女の異様な風貌に気づき、オレストが尋ねると、エレクトラは名を名乗る。
そしてオレストが自分の正体を明かす前に、エレクトラはようやく弟に気がつく。
音楽が早くも調子を変える。
期待に満ちた音楽。
オレストが館に入って行くと、音楽が止む。
緊張に満ちた数秒が過ぎ、奥から女の叫びが聞こえる。
エレクトラは「もう一度!」と叫ぶ。
再び叫び声が聞こえる。
義父が不在なので、オレストは、まず母を手にかけたのだ。
エレクトラは喜びを抑えることができない。
そこに義父エギスト(シュテファン・リューガマー)が帰って来る。
エレクトラは彼に話しかけるが、義父は、いつもと感じが違う、と不審がる。
彼女は、強い人に従うことにした、とうまくごまかす。
彼女はもう踊り出している。
奥に入って行くエギスト。
すぐに叫び声が聞こえる。
エレクトラは歓喜。
クリソテミスと侍女たちが出て来る。
妹は語る。
オレストが来て母と義父を殺した。
義父を憎んでいた人々が、義父の部下たちを襲い、殺している。
こうなったことを、結局、妹も喜んでいる。

ラスト、同じ音が続くが、歌はない。
舞台上の姉妹は手持ち無沙汰な感じ。
オペラ形式だったらここで何か動きがあるのかも知れない。
いつかオペラ形式で見てみたい。

あらすじを読んだだけでは、母親クリテムネストラが極悪人のように思えるが、話はそれほど単純ではない。
彼女の夫アガメムノンはトロイア遠征の際、長女イピゲネイアを戦勝のため人身御供にしたことがあり、彼女はそのことを当然ながら強く恨んでいた。
さらに夫は、トロイアの王女カッサンドラを愛し、不貞行為を働いた。そのことも彼女は知っている。
また、義父エギストはアガメムノンの従兄弟に当たるが、父親がアガメムノンの父から迫害されたことを恨み、復讐のためにアガメムノンを討ったのだった。
そもそもこのアルゴスの王家は呪われた家系で、代々血なまぐさい内争が絶えなかったという。
呪われた王家の辿る悲劇的没落の一環として起こった事件と見るのがギリシア人の伝統的な解釈だったらしい(ちくま文庫「ギリシア悲劇Ⅱ」の解説による)。

今回の歌手陣は国際色豊か。
ヒロインの題名役がロシア、その妹役が英国、その弟役と義父役がドイツ、母クリテムネストラ役が日本の藤村美穂子。
皆、素晴らしかった。
先日「トリスタンとイゾルデ」のブランゲーネ役で我々を圧倒した藤村美穂子が、この日はクリテムネストラを聴かせてくれた。
彼女がまた聴けてよかった。
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「デカローグ Ⅲ あるクリスマス・イブに関する物語」

2024-04-25 22:14:08 | 芝居
前回の続き、新国立劇場小劇場で見た、クシシュトフ・キエシロフスキ作「デカローグ」十篇の第3篇について。



 クリスマスイブ。妻子とともにイブを過ごすべく、タクシー運転手のヤヌシュが帰宅する。
 子供たちのためにサンタクロース役を演じたりと仲睦まじい家族の時間を過ごすが、その夜遅くヤヌシュの自宅に
 元恋人の女性エヴァが現れ、ヤヌシュに失踪した夫を一緒に探してほしいと訴える・・・。

サンタの恰好をした男が酔っぱらって登場。
「おれのうちはどこだ?」
もう一人、同じ恰好の男がすれ違う。
彼は家のブザーを鳴らし、子供たちが出ると「ホー、ホー、サンタクロースだよ」
彼(千葉哲也)はこの家の主、ヤヌシュだった。
居間にクリスマスツリー。
妻(浅野令子)が赤ん坊を抱いている。
子供二人と赤ん坊と妻に、それぞれプレゼントを渡し、子供たちに「パパのはないの?」と聞かれると、
「パパはいらない。パパのプレゼントは君たちだから」と二人を抱き上げる。
プレゼントをツリーの根元に置いて、子供たちは寝室へ。
夫は妻に、「二人で祝い直そう」と新しいワインのボトルを開けて、グラスに注ぐ。
飲もうとするとブザー。
ヤヌシュがインターホンに出ると、女(小島聖)「くるま」「車のとこにいるわ」
ヤヌシュは妻に、「何だかわけのわからないことを言ってる。ちょっと見て来る。さっきも変な奴に会ったよ」
とジャンパーを着て外へ。
女「〇〇がいなくなったの。探さなくちゃ」
男「・・俺には関係ない」
女「そう・・、お邪魔さま」と言って立ち去りかけるが、男は何を思ったか、「エヴァ」と呼び止める。
「一緒に探すよ」
「奥さんに何て言うの?」
「車が盗まれたって言うよ」
「そんなの信じるかしら」
男、家に戻って妻に「車が盗まれた、警察に盗難届けを出してくれ。探して来る」
「警察に任せておけば?」
「俺の商売道具だ、あれで食ってるんだ」
彼はタクシー運転手だった。
こうして男は元恋人と共に、失踪した彼女の夫を捜して夜の街を彷徨する。
クリスマスイブだというのに・・。
まず救急病院へ。
ある男が交通事故で両足を切断し、顔も血だらけで死んでいた。
だがそれは夫ではなかった。
エヴァはヤヌシュのことを憎んでいると言う。
死ねばいいと思う、とも・・。
それから酔っ払いを収容する所に行き、ひと騒動あり、その後エヴァの部屋へ。
彼女は外に彼を待たせ、部屋に入ると、男と住んでいたかのように、大急ぎで偽装する。
教会の鐘が鳴ると、エヴァは小鉢を出してきて二人で何かパンのようなものをそこに浸して口にする。
ポーランドのイブの夜の風習らしい。
3年前の話。二人が別れることになったきっかけについて。
再び車に乗るが、ヤヌシュの妻が盗難届けを出していたのでパトカーが追って来る。
ヤヌシュは猛スピードで逃げるが捕まってしまう。
車検を見せ、自分の車を自力で見つけて帰るところだ、と説明すると、警官たちは「イブだから」と許してくれる。
外が明るくなってきた。
二人は夜通しさまよっていたのだ。
エヴァは「今夜、いっぱい嘘をついた」と言って、一枚の写真を見せる。
これが〇〇。隣にいるのが彼の奥さん。そして二人の子供。3歳と、一人はまだ10ヶ月。
私はずっと一人なの。孤独だわ。こんな日にひとりでいるなんて耐えられない。
彼女は賭けをしたという。
朝の7時までヤヌシュと一緒にいられるかどうか。
もしいられなかったら、睡眠薬を飲んで死ぬつもりだったようだ。
その後またスピードを出して事故を起こし、車が壊れ、ヤヌシュの額から血が出る。
「あなたのイブも車もダメにしちゃったわね」
「いや、けっこう楽しかったよ」
やっとエヴァは帰っていった。
ヤヌシュが家に帰ると、妻はテーブルに突っ伏して寝ていた。
彼は妻の手をとり「車、見つかったよ」
「知ってるわ。警察から連絡があったの」
「・・」
「・・・エヴァ?」
「・・・エヴァ」
「そう・・・また夜に出かけたりするの?」
「いや、もう二度と出かけないよ」
見つめ合う二人。幕

第3戒は、カトリックでは「主の日を心にとどめ、これを聖とせよ」らしい。
プロテスタントと違うので、戸惑った。
孤独をひとり嚙みしめる女が、イブの夜に家族と過ごしている元カレを突然訪ねて来る。
男は良き家庭人のようだが、そんな女につき合って一晩中、女の「夫」をあちこち探し回る。
そんなの嘘だとわかっていたのだろうか。
二人の間に、かつてどんなことがあったのだろうか。
なぜ男は、この人騒がせで、はた迷惑な元カノを助けて、どこまでもつき合ってやるのだろう。
これは、ただのお人好しの男の話ではないだろう。
欠けの多い、弱さを抱えた人間たちの営みと、それぞれの思いが交錯する。
一方、男の妻には何もかもお見通しだった。
彼女は夫のことを深く理解しているようだ。
彼女の豊かな包容力、広い心と信頼が、強く印象に残る。








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「デカローグ Ⅰ ある運命に関する物語」

2024-04-22 22:34:33 | 芝居
4月15日新国立劇場小劇場で、クシシュトフ・キエシロフスキ作「デカローグⅠ・Ⅲ」を見た(上演台本:須貝英、演出:小川絵梨子)。



ポーランドの映画監督クシシュトフ・キェシロフスキの代表作「デカローグ」十篇の物語を、新国立劇場が完全舞台化。
旧約聖書の十戒(ポーランド語でデカローグ)をモチーフに、オムニバス形式で人間の脆さと普遍的な愛を描くものだという。
今後3ヶ月にわたって上演するという大型プロジェクトだ。
この日は、そのⅠとⅢが上演された。
長くなるので、2回に分けて書きます。

大学の言語学の教授で無神論者の父クシシュトフは、12歳になる息子パヴェウと二人暮らしをしており、信心深い伯母イレナが父子を
気にかけていた。パヴェウは父からの手ほどきでPCを使った数々のプログラム実験を重ねていたが・・・。

舞台は集合住宅。右寄りに狭い部屋と3階まで続く階段。奥に巨大なスクリーン。2階左側にもスクリーン。
2階右側は階段。中央の部屋の前に開口部。
朝、息子パヴェウ(石井舜)が「パパ、パパ」と呼び、牛乳とパンをテーブルに置く。
鳩の鳴き声がするので子供は庭に出てパンくずをまく。
教会の鐘が鳴る。
父(ノゾエ征爾)が来ると、鳩たちは飛んでゆく。
二人は庭に出て腕立て伏せ。10回。
そして息子はパソコンの前に座り、父が出す計算問題を解く。
一人が家を出て時速〇キロで歩き出し、3分後にもう一人が時速△キロで追いかけると、何分で追いつくか。
息子がパソコンに入力した計算式が奥のスクリーンに現れ、答えが出る。
正解。
これが二人の朝のルーティーンらしい。
朝食をとるが、牛乳が腐っている。匂いを嗅いで二人とも「オエッ」。
子供「ねえパパ、死ってどういうこと?」
父は医学的な知識を語る。脳の機能が止まり、心臓が止まり・・。
だが子供が聞きたいのはそういうことではなかった。
子供「お葬式で、魂が安らかならんことを、って言うけど、パパは魂のこと言わないよね。信じてないの?
伯母さんは、魂はあるって」「そうだな・・」
「さっき、犬が死んでた。いつもお腹をすかしてた。かわいそうだった」「そうか・・」
子供は学校へ。
夕方、伯母(高橋惠子)が来る。父の帰りが遅い時は、彼女が来て夕食を食べさせるらしい。
夕食後、子供「人って何のために生きてるの?」
皿を洗っていた伯母は驚いて彼のところに来て彼を抱きしめ、「何を感じる?」
「温かい」
「そうね、それが生きてるってこと。人のためになることをするのが生きること・・」
父が帰宅すると、彼女は彼に、パヴェウを教会に連れて行きたいと言う。すでに神父さんに話してある。
あなたにも来てほしい、と言うと、クシシュトフは承諾する。

父は階段を上がり、2階のスクリーンを上げて講義を始める。
コンピューターについて。
「翻訳は難しい。特に詩は翻訳不可能だと言われている。
だがいつの日か、コンピューターの翻訳した T.S.エリオットの詩に君たちが涙する日が来るだろう」
時間が来たので、学生たちに来週までの課題を与え、明るく如才なく講義を終える父。

パヴェウの母は別のところに住んでいるらしい。
彼は両親からのクリスマスプレゼントのスケート靴を、ソファの下に発見する。
「湖でスケートしていい?他の子はしてるよ」
父はパソコンで氷の厚さを計算する。
ここ3日間の気温を入力すると、湖の表面の氷は1㎠あたり200㎏以上の重さに耐えられる、と出る。
父は慎重に、この計算を3回も繰り返すが、同じ結果が出る。
それで彼は息子にOKを出す。
プレゼントの靴を履く許可も出す。
息子は大喜び。

その夜、父は湖に行って氷の厚さ・固さを自分の足で確認する。
見知らぬ男=天使(亀田佳明)に見られて「やあ」と照れ笑い。
息子がトランシーバーで「パパ、今どこ?」
「そこにいると思った」
父親の息子を思う熱い気持ち、心配する心がよくわかり、伝わってくるが・・・。

次の日、辺りが騒がしい。
この日、息子は放課後、英語教室に行く予定だったが、それにしても遅い。
夕方4時になっても帰らず、他の子の親から電話や訪問があり、湖の氷が割れたらしい、子供が二人溺れた、と言われる。
父は、そんなはずはない!と強く否定するが、なら、自分で見て来たらいい!と反発される。
父が英語教室の先生に電話すると、今日は風邪気味なので、生徒はすぐ帰した、と告げられる。
あわてて伯母に電話すると、伯母もすぐに駆けつける。
パソコンの前に行くと、触ってもいないのに画面に I am ready という文章が繰り返し何度も出る。
父、伯母、隣人たちがこちらを向いて見守っていると、もう一人の子供の母親が大声で叫び出し、次に伯母が叫び声を上げて泣き伏す。
子供たちの遺体がヘリで吊り上げられたらしい・・。

一人になると、父は鉄筋の柱に頭を何度も打ちつけて嘆く。
地面に泣き伏していると、伯母が来て背中をさすり、二人抱き合って泣く。
上方にイコンのような絵が現れ、聖母の目から涙のような白い雫が垂れる。幕。

十戒の第1戒は「私のほかに神があってはならない」。
この戯曲は、それをモチーフにしているという。
父親が無神論者で、コンピューターの力を過信してしまったことから、愛する大切な一人息子の命を失うことになったということか。
だが、それではあまりに可哀想だ。
賢くて心優しい少年、未来ある少年の命。
彼を愛し、宝物のように大事に育てている父親と伯母だったのに・・。
シェイクスピアの「冬物語」に登場する哀れなマミリアス王子を思い出した。
この利発な少年は、父である王が、アポロ神の神託をわざわざ伺いに行かせたのに、届いた神託を認めず、アポロ神を冒瀆した直後に
突然死したのだった。平たく言えば、バチが当たったのだと思う。

だがこの話は、それとは違う。
見終わって強く心に残るのは、人々の愛の強さ、過酷な運命、人間をふいに襲う、耐えられないほどの悲しみ。
タイトルが「ある運命に関する物語」だし。

途中から勝手に動き出すパソコンが怖い。
胸締めつけられる話だ。
だがこれは連作の第1作目だし、10篇の物語はすべて独立していながら、壮大な一つの物語でもあるという。
だから、今後の物語とのつながりに注目していこうと思う。



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「そして誰もいなくなった」

2024-04-16 23:49:31 | 芝居
4月7日江東区文化センターホールで、アガサ・クリスティ作「そして誰もいなくなった」を見た(演出:鈴木孝宏)。



イギリス、デヴォン州沖の孤島、ソルジャー島にあるオーウェン夫妻邸に8人の客人たちが招かれる。
邸では、使用人のロジャースとその妻が客人たちを迎え入れる準備に勤しんでいる。
最初の船で到着したのは、オーウェン夫妻に秘書として雇われたヴェラと元陸軍大尉ロンバード。
次の船で、青年マーストン、元刑事のブロア、マッケンジー将軍、老婦人ミス・ブレント、元判事のウォーグレイブ、アームストロング医師が到着。
その夜、一同が会し晩餐が始まると、突然、不穏な声が聞こえ、10人それぞれの過去の罪状が読み上げられる。
やがて、古くから伝わる童謡の歌詞通りにひとりずつ死んでいく・・・ひとりいなくなるたび、恐怖に慄き疑心暗鬼に陥る人々。
折しもマントルピースの上に置かれた10人の兵士の人形が1体ずつ消えていき・・・(チラシより)。

1939年に発表された同名の長編小説は、クリスティの最高傑作と言われている。
本作は、作者が自ら2年の歳月をかけて完成させた戯曲版であり、1943年に上演が始まると、大戦下にもかかわらず大ヒットし、
後にブロードウェイでも好評を博し、ロングランヒットとなった由。

ネタバレあります注意!!
ミステリーなので、当然ですが、犯人を知りたくない方は、ここから先は絶対に読まないでくださいね!

奥行きの狭い、横長の舞台。
椅子があちこちにあり、ソファが一つ、下手の壁際の棚に白い人形が10体。
奥に大きなガラス戸と2つの大きなガラス窓。
その向こうは海らしい。ガラス戸を出たところに海に降りる通路。

作者自身による戯曲は、原作の小説とはだいぶ違う。
着いた早々、ヴェラ(伶美うらら)とエミリー・ブレント(夏樹陽子)は服装のことで険悪な雰囲気に。
将軍役の石山雄大は老齢で危なっかしい。
まもなく将軍は錯乱状態に陥り、亡妻のことをしきりに口走る・・・。

この日のために原作の小説を読んだ。
作者の孫の男性が、10歳の時これを読んで怖くてたまらなかったと書いているが、私も怖かった。
途中から、これは夜寝る前に読むべきではないと思った。
だって「部屋に誰かいる・・」「でも、振り向けない・・」とか書いてあるし(笑)。

原作はもちろん素晴らしかったが、それを戯曲にするにあたっての作者の技巧がまたすごい。
小説では全員が次々に殺されてしまい、その後、警察が来て捜査するものの、誰がみんなを殺したのかまるで分らず、迷宮入りかと思われる。
と、その後に「真犯人」の手記が現れる!
それを読めば、すべての謎が解けてすっきりするというわけだ。
だが、芝居ではそんなことはできない。
犯人の手記を誰かが長々と読み上げるなんて面白くないし。
ではどうするか。
大胆に筋を変えたのだ。

大詰め、10人の客のうち8人までが殺され、ヴェラとロンバード(野村宏伸)の二人が残る。
二人とも、相手が殺人鬼だと思い、何とかしてやられる前に相手をやっつけようと考える。
結局、ヴェラがロンバードの隙をついて銃を奪って撃つが、その時突然、不気味な老人の笑い声が聞こえたかと思うと、
死んだはずの判事(側見民雄)が白い毛糸のカツラをかぶったまま部屋に飛び込んで来る。
そして、驚くヴェラを相手に、これまでの種明かし=自らの天才的な犯罪を、得々として語るのだ。
医師アームストロング(小野了)を味方に引き入れ、死んだふりをしたこと、その後、自由に動き回ったこと・・。
ヴェラが「私は無実よ!」と言うと、判事は「あんたが心神喪失ならそうだろう。だがあんたは健康だ。
狂っているのは私だ!」と笑いながら両手を振り回す。その様は、まさに狂人!
「さあ、首をくくれ」と言われてヴェラは催眠術をかけられた人のように椅子に上がり、縄に首をかける。
と、その時、死んだはずのロンバードがすばやく身を起こしてピストルで判事を撃ち殺し、ヴェラを縄から外して椅子から降ろす。
ヴェラ「私、あなたを殺したと思った」
ロンバード「素人は真っ直ぐ撃てないんだ。君の弾がどこに飛ぶか予想して反対側によけたんだ」
彼が原住民を20人も置き去りにして見殺しにしたという話は嘘だった。
話は逆で、彼の英雄的な行為が誤って広まったのだった。
ヴェラの方も、本当の人殺しはピーター(原作のシリル)の伯父ヒュー(原作のヒューゴー)だと言う。
ヴェラが岩に向かって泳ぎ出した子供の後を追おうとしたら、ヒューに止められた。
彼はヴェラの恋人だったが、強欲な人だった(ピーターがいなければ、ある人の遺産が手に入るのだ)。
実はその時、ピーターに「お前ならあの岩まで行ける」とそそのかした、と後で彼は告白したという。

ついに恐るべき犯人は死んだ。
生き延びることができた二人は抱き合う。
こうしてクリスティのエンディングにふさわしく、若い二人のカップルが誕生。
そこに迎えのボートが来る音が聞こえる。めでたしめでたし。

犯人は生来、生き物が死ぬのを見たり、殺したりして喜ぶ嗜虐趣味があった。
と同時に、全く正反対の、強い正義感も持っていた。
そのため彼は、法律を学び、判事になった。
年を取るにつれて、彼は人を殺したい、という気持ちを抑えることができなくなった。
だがそれはただの殺人ではいけない。
世の中には、人を殺しておいてまんまと法の裁きを逃れた奴らがいるという。
そういう奴らを見つけ出して、正当な裁きを下してやろうとしたのだった。

生き残った二人は無実だった。
でないと後味が悪くて観客に受け入れてもらえないだろう。
こうして、「誰もいなくならなかった」のだった(笑)。
タイトルとは違う結末だが、実に見応えのある芝居だった。
やはりクリスティはすごい、と改めて思った。






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オペラ「トリスタンとイゾルデ」

2024-04-09 11:02:13 | オペラ
3月29日新国立劇場オペラパレスで、リヒャルト・ワーグナー作曲のオペラ「トリスタンとイゾルデ」を見た(演出:デイヴィッド・マクヴィカー、指揮:大野和士、
オケ:都響)。



コーンウォールのマルケ王の甥、騎士トリスタンは、アイルランドの王女イゾルデを王の妃として迎えにいく。
かつて愛し合ったことのある二人は毒薬で心中を図るが、侍女ブランゲーネの手により毒薬は愛の媚薬にすりかえられていた。
二人の愛は燃え上がり逢瀬を重ねるが、密会の場面を王に見つかり、トリスタンは王の家臣メロートの剣により重傷を負う。
トリスタンは故郷の城でイゾルデを待ち、やっと到着した彼女の腕の中で息を引き取る。イゾルデもまた彼を追い愛の死を迎える(チラシより)。

このオペラは、2007年秋にバレンボイム指揮、ベルリン国立歌劇場の引越し公演を見たことがある(演出:ハリー・クプファー、NHKホール)。
今回の公演は、13年ぶりの再演の由。

舞台下手側に白い太陽?が浮かび、水面に映っている。それが前奏曲に合わせて少しずつ上ってゆく。
音楽はもちろんロマンティックかつドラマチック。
作曲家自身が自分の書きたい音楽に合わせて好きなように台本を書いているし。
とにかく人を陶酔の極みに引きずり込む力がある。
その力には到底あらがえません。

イゾルデの母は魔法が使えたという。いろいろな薬を作り、娘の結婚に際し、それらを侍女に持たせたという。
イゾルデは混乱している。
トリスタンは、かつて彼女の婚約者を殺した男なのに、その彼を愛してしまい、傷を治してやったという過去がある。
そして今、彼はマルケ王の使いとしてやって来て、彼女を王の妃として、王のもとに送り届けようとしている。
イゾルデは揺れている。
もう、二人で死ぬしかない・・・。

日本語字幕と英語字幕がだいぶ違っていて興味深い。
筆者は言葉に特に興味があるので、こういう場合、いつも目が忙しくなる。

余談だが、花嫁を花婿本人が迎えに行くのでなく別の男に迎えに行かせるというのは、オペラ「薔薇の騎士」やシェイクスピアの「ヘンリー六世」など
にも見られるが、これはあまりよい風習ではないと思う。
代理の男が年寄りならまだしも、若い溌剌とした青年などを使いに出すから面倒なことが起こるんじゃないか(笑)。
 ~休憩~
<2幕>
幕が開くと中央に巨大な柱(少し円錐形)、その上方を巨大な銀色の輪が幾重にも囲んでいる。
途中それが銀色に光り輝く。
本物のたいまつが1本、赤々と燃えている。
さらに、多くの人々が赤々と燃える灯火を手に次々と入って来る。
ブランゲーネ(藤村美穂子)が忠告するのも聞かず、イゾルデ(リエネ・キンチャ)は自ら警告のたいまつを取り、消して投げ捨てる。
トリスタンが来て、二人は愛の夜を讃える。
だが、これは廷臣メロートの策略だった。二人は王の部下たちに囲まれる。
マルケ王(ヴィルヘルム・シュヴィングハマー)は愕然として、甥であるトリスタンに問いただすが、彼が「何も答えられません」
としか言わないので、ショックで倒れてしまう。
メロートが助け起こすが、王はその後、彼を押しのける。
王は「余計なことをしてくれた、トリスタンたちの裏切りなど知りたくなかった」と思っているのだ。
このあたりの演出が非常にいい。

トリスタンはイゾルデに、私の行くところについて来てくれますか?と尋ねる。
生まれる前にいた世界のことを言っているようだ。(彼の母は、彼を産んですぐ死んだという)
イゾルデ「あなたの世界に私も行きます」
二人は抱き合ってキスする。
兵士たちは、あわてて身構える。
メロートは二人を指差して「言いたい放題!」と叫ぶ。
だが、ここの英語の字幕は "Traitor! "だった。
全然違うんですけど・・。
どっちが原文に忠実なのだろうか。
たぶん英語の方ですよね。
日本語の方が、この場の状況にぴったりで、すごく面白くはあるけれど。
このように、日本語の字幕が時々非常に面白い。

トリスタンは剣を取ってメロートと向き合うが、最初から死ぬつもりだったらしく、すぐに剣を捨ててメロートの剣に
自ら身を投げる。
 ~休憩~
<3幕>
(当然ながら)暗く重い音楽。
重傷を負ったトリスタンは椅子の上でうなだれている。
そばに従者クルヴェナールがいて、今にイゾルデが船でやって来ますから、とトリスタンを励ます。
牧人の吹く笛の音が淋しげに聞こえて来る。
コール・アングレの調べが心に沁みて美しい。
トリスタンは自らの人生を顧み、夢見るようにイゾルデの美しさを讃えて歌う。
彼女の乗った船は、なかなかやって来ない。
彼は途中から立ち上がり、歌い続けるが、ついに力尽きて倒れる。
ようやくイゾルデが到着。
真紅の長いドレス姿。
歌いながら彼のそばに横たわる。
そこに兵士たちとメロートが来るので、クルヴェナールは「やっと仇が打てる、この時を待っていた!」とメロートを刺し殺す。
ブランゲーネとマルケ王も来る。
ブランゲーネが秘薬のことを王に告白したので、王はようやく真相を知り、トリスタンが自らの意思で裏切ったのではないことを知り、
二人を許そうと思って来たのだった。
だが「みんな死んでしまった」。遅過ぎた・・・
と、倒れていたイゾルデが起き上がり、トリスタンへの愛を歌う。
音楽が高まる。
イゾルデは後ろを向いて数歩歩いてゆく。幕(!)

このように、イゾルデは死なない。ここが、今回の演出の大きな特徴。
従来の演出とは違うが、そもそも「悲しみのあまり死ぬ」というのは死因としてなかなか受け入れにくいので、
これはアリだと思う。
音楽の友社の解説本には「イゾルデはトリスタンの遺体に静かに倒れつつ、忘我のうちに息絶える」とあるし、
今回のチラシのあらすじも同様だけど。
そして作曲家自身も、イゾルデの死を当然想定していただろうけれど。

シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」の翻案であるミュージカル「ウエストサイド物語」を思い出した。
ロミジュリと違って、ラストでトニーは死ぬがマリアは死なない。

今回、演出もよく、久々にワーグナーの愛と官能の世界を堪能できた。
2度の休憩を含めて5時間25分の至福の時。
歌手では、主役の二人ももちろんよかったが、ブランゲーネ役の藤村美穂子と、マルケ王役のシュヴィングハマーが断然素晴らしかった!
都響の演奏もよかった。
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「お目出たい人」

2024-04-04 22:51:27 | 芝居
3月27日下北沢 ザ・スズナリで、水谷龍二作「お目出たい人」を見た(演出:水谷龍二)。



地下室にひっそりと置かれた棺。
通夜に集まった今日が初対面の六人。
死んだ男の残したものとは何だったのか。
哀しみと笑いと怒りが交錯する中、帰るに帰れない六人の酒盛りはつづく(チラシより)。

ヨネダという男の通夜。場所は、なぜか或る小劇団の稽古場。
そこに、一人また一人と人が集まって来るが、みな、互いに知らない同士だ。
野口(川手淳平)は新宿の飲み屋で故人と飲み友達だった。
篠原(渋川清彦)はテレビ局のADでジャンパー姿。かつて故人と仕事仲間だったが、ヨネダは2年位で辞めたという。
小松(那須凛)は若い女性で、茶系のチェックのブレザーと白いパンツ姿。
編集者で、今日は校了の日なので忙しい。
ヨネダはテレビ局を辞めた後、ライターだった。
仕事熱心だったが、原稿はいつも締切りギリギリだった。
ヨネダは公園で、ホームレス同士の争いに巻き込まれ、殴られて死んだらしい。
八坂(渡辺哲)は「中央線断酒会世話人」という肩書をもつ老人。
彼は早速、酒好きの野口と酒をめぐって対立する。
金子(崔哲浩)は野口が一人でいる時に来て、線香をあげ、野口に「しばらく目を閉じていてください」と言う。
彼の迫力に押されて言われた通りにする野口。
すると金子は、そばの段ボールを開け、ヨネダの遺品を探って四角い箱を取り出し、自分のカバンにしまう。
こいつ、怪しい!
次に棺の蓋を開け、ヨネダの顔を見て、自分の顔をぐっと中に入れて一瞬泣き声を上げる!
この男と故人の関係って一体・・・。

この5人に連絡して来た中島という女性(李丹)がやっと現れ、ヨネダの死の経緯を説明する。
中国語訛り。
彼女はヨネダの行きつけの雀荘の経営者で、彼の財布に彼女の雀荘のカードが入っていたため、警察から連絡が来たのだった。
彼女は彼の部屋を引き払い、スマホにあった「友人」5人に連絡したという。
ヨネダはだいぶ前に妻と離婚しており、他に身寄りもない。
故郷に行けば身元引受人くらいいるだろうが、実家の住所など誰も知らない。
ヨネダが滞納していた部屋代3ヶ月分を彼女が払ったというので、5人は、それをみんなで出し合うことにする。
6人で通夜と葬儀の準備。
金子が実はヤクザだとわかり、みなビビる。
翌日の葬儀には坊さんは呼ばない。
みな、喪服に着替えて来る。
酒盛り、歌、そして中島による中国の踊り。
お開きの前に、彼女が言い出す。
実は、故人にお金を貸していました。百数十万。
それもみなさんで出していただけないでしょうか。
そのために我々を集めたんですか!?となじられるが、彼女も店の存続がかかっていて引き下がれない。
結局その金も、みなで出し合うことになる。
いろいろあったが、やっぱりヨネダは彼らに愛され、慕われていたようだ。

最後にみなで形見分けをする。古いレコードなど。
ルポライターだったヨネダは写真をたくさん撮っていた。
その中に、同じ少年が何枚も写っているのに誰かが気づく。
彼には別れた妻との間に、高校生になる息子が一人いた。
これがその息子なんじゃないか、その子のことをそっと追っていたんじゃないだろうか。
その息子を探してみることになる・・。

戯曲としては、一部冗長なところがあるのが残念だが、なかなか味のある芝居だった。
何より、役者の皆さんが実に生き生きと楽しそうに演じていたのが印象に残った。
那須凛は、例によってうまいし、李丹という人の中国の踊りが素敵だった。






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