ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

太宰治作「新ハムレット」五戸真理枝版

2023-06-28 21:42:40 | 芝居
6月22日パルコ劇場で、太宰治作「新ハムレット」を見た(上演台本・演出:五戸真理枝)。






太宰治が初めて書き下ろした長編小説は、『ハムレット』のパロディだった・・・。
共感度100%の日本人的な”新しい”ハムレットがここに誕生!(チラシより)。

太宰治が昭和16年(1941年)に戯曲形式の小説として書いた作品の舞台化。

舞台右奥から左手前にかけて、灰白色の大きな石の床と何段かの階段。
始めに全員で、原作の「はしがき」を輪読。
あらかじめ読んで臨んだ者としては余計だったが、観客に知っておいてほしいという気持ちはわかる。

驚いたことに、ハムレットは薄いピンク色のジャージの上下。途中で黒い上着を上から羽織るが。
全体に、衣装がいけない。おふざけなのか、という感じ。
オフィーリアは中学校の制服のような丈の短いジャンパースカート。袖が異様に長く、先にフリルが一杯ついている。
王と王妃は妙な金の冠をかぶり、服は白と赤でちゃちな感じ。
これはシェイクスピアではありません、ということを視覚的にも伝えたいのだろうが、何だか安っぽい。

台本は原作に忠実で好感が持てる。

ガートルード役の松下由樹が好演。
ポローニアス役の池田成志は、まさにはまり役。
そもそもこの作品ではポローニアスが主役を食うくらい大活躍するから、このキャスティングで大正解。
ハムレット役の木村達成もいい。初めて見たが、熱演で好感が持てる。
クローディアス役の平田満は、途中までよかったのに、珍しく何度かセリフが出て来ず、ハラハラさせられた。
コント集団「ザ・ニュースペーパー」の言う「セリハラ」だ。

ガートルードとオフィーリアが二人だけで語り合うシーンで、王妃ガーティは裸足になって草の上(と見なした床)を歩く。
オフィーリアは妊娠中なのに、階段をピョンピョン飛び降りるのは変だ。
劇中劇に出演する3人(ハムレット・ホレイショー・ポローニアス)は、平安時代風の着物をまとう。
その時、オフィーリアは首から太鼓を下げ、亡霊(ハムレットが演じる)が語る間、ドロドロという風に、化け物的な効果音を出す。

音楽はちゃち。ラスト近くでポローニアスが殺された後、押しつけがましいドラマチックでセンチな曲が流れる。
途中、天井から赤くて丸いものがたくさん落下。
これは何?血でしょうかねえ。
蜷川幸雄演出で上空から落下したハンバーグのタネみたいなものを思い出した。
彼はこれを、戦闘シーンでよく使ったものだった。

いろいろいちゃもんをつけたが、総じて面白かった。
新聞の評は辛口で否定的だったが、評論家の評は意外と当てにならないものだと改めて思った。

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「われら幸運な少数」

2023-06-01 23:21:35 | 芝居
5月25日ピット昴(サイスタジオ大山第一)で、イモジェン・スタッブス作「われら幸運な少数」を見た(劇団昴公演、演出:千葉哲也)。



第二次世界大戦下のロンドン。実在した女性だけのツアー劇団「オシリス・プレイヤーズ」をモデルに女たちの奮闘を描く。
シェイクスピア、バーナード・ショウ・・イギリス演劇を観てもらうため、どんなに遠くても、野宿をするような悪条件でも、約1500回の
公演を遂げたパワフルな女性たちがいた。彼女たちを駆り立てた情熱と涙とそれぞれが持つドラマ(チラシより)。
本邦初演。ネタバレあります注意!

開幕前に流れていたピアノ曲はブラームスの間奏曲。中で弾かれるのもブラームスのピアノ協奏曲第1番。

枠構造。冒頭は現代。15年前にこの倉庫を引き継いだという女性と一人の男性とが、懐中電灯を手に入って来る。
彼らが出て行くと、亡霊たちが出て来る。話を聴いていたらしく、「失礼ね」とか言いながら。

時代は第二次世界大戦前夜。
男たちが戦地に駆り出され、芝居の上演ができなくなったため、ヘティ(高山佳央理)とフローラ(湯屋敦子)は女だけで劇団を結成して全国を回ろうと考える。
役者を募集し、オーディションするが、来たのは全くの素人ばかり。
そこに、ユダヤ人の親子がドイツから逃れて来る。母親ガートルード(磯辺万沙子)はドイツ語しか話せず、息子ヨーゼフ(町屋圭祐)が片言の英語で通訳する。
プロの俳優ヘレン(林佳代子)も加わり、政府の助成金を申請するが、大臣はなかなか認めない。
それでもめげずに工夫して、ようやく認められ、いよいよ公演が始まるが・・・。

オーディションが始まり、一人ずつ自分の好きなシェイクスピア劇のセリフを口にし出した時は、シェイクスピア・フリークにとって
これほど楽しい芝居があろうか!?と胸が高鳴ったが・・。

この戯曲の難点はと言えば、翻訳した芦沢みどり氏が書いている通り「とにかく長い」「ロンドンでの上演時間は3時間だったというから、
日本語上演だと4時間近くかかるはずだ」
翻訳すると、それくらい長くなるのです。
ただ今回、演出の千葉哲也氏がだいぶカットしているので、何とか3時間に収まったが。
それでも、まるで大河ドラマを見たような印象。

そしてその中に、あまりに多くを詰め込み過ぎ。
ざっとあらましを書くと、
「マクベス」上演、劇団内でカップル誕生、ヘレンのせいであわや解散か!?、ヘレンと娘の確執、妊娠騒動、
ヘティの過去(息子の存在)が明らかに、ヨーゼフが前線に、息子の結婚に反対する母、女性2人が恋に落ちる、
爆撃で妊婦が・・、義母が赤子を・・、
終戦、砂浜で「ヘンリー五世」上演、新聞の戦死者の欄に・・、聖クリスピンの例の演説・・、
乳母車に赤ん坊、その子の名前・・
・・・とまあ、盛り沢山の内容。
この作品は、作者が初めて書いた戯曲だというから、あれもこれも入れたい気持ちはわかるが。
これだけ盛り沢山だと、面白くはあるが、せっかくの名場面の印象が拡散してしまう。

次に問題なのは、とにかく感傷的過ぎること!
世界的に見ると、日本人はかなりウェットで情緒的な方だと思うが、その日本人もびっくりなくらい。
みんなよく泣くし。
だが舞台上で泣くのは難しい。
下手すると役者だけが感動していて、客席は置いてきぼりにされ、白けてしまう。
今回も、劇中劇の上演中だというのに、個人的なショックのため、勇ましい名演説の途中で絶句してしまう主人公には驚いた。
きついことを言うようだが、プロ意識に欠けるのではないか。
これは役者のせいでも演出家のせいでもなく、原作の戯曲の失敗だと思う。

タイトルは「ヘンリー五世」の有名な演説からの引用。
英国軍はフランスに進軍したが、兵の数では圧倒的に多いフランス軍を前に、厭戦気分が蔓延していた。
その時、若き国王ヘンリーが語り出す。
我々は人数は少ない。だが、少ないことが、かえって我々の名誉となるのだ。
今日の戦いに勝って国に帰り、家族や友人たちに戦場でのことを話して聞かせよう。
今日の戦いと勝利のことが、親から子へ、子から孫へと何世代にもわたって語り継がれるだろう。
その時、この戦いに参加しなかった者は、地団駄踏んで悔しがるだろう・・。
この演説が兵士たちの心に火をつけ、ついに信じられないような奇跡的な勝利を勝ち取るのだ。
ここは、そのままやっても十分感動的なシーンなのだが。
そこに、ヘティの悲劇的な運命を重ね合わせると、さらにいいかも、と作者が思って相乗効果を狙ったのだとしたら、逆だった。
かえって相殺されてしまい、せっかくの最高に感動的なシーンが、気の抜けたものになってしまった。

それと、いくつか冗長な部分があるので、そこもカットした方がいい。
老人が幕間の挨拶をするシーンや、恋人たちをみんなで祝福したり励ましたりするシーンも退屈だった。
演出については、他にも腑に落ちないところがいくつかあった。
たとえば劇中劇「マクベス」のラストで、マクベスとマクダフの一騎打ちの際、マクベスは、すでに戦う気力を無くしているはず。
なのに彼は、わりと元気に戦い続けるし、逆に、復讐心に燃えているはずのマクダフが弱くて何度もやられそうなのは変だ。

あちこちにシェイクスピア好きを喜ばせるものが散りばめられている。
最初の方で「マクベス」第5幕の「女から生まれたのではない」についての問答を聴かせておいて、ラスト近くで妊婦に対して義母がそれと同じことをしたり。
ガートルードが小道具の天使の羽根をちぎって息子の妻の顔に近づけるのは、「リア王」のラストシーンから。

シェイクスピア劇からの引用は劇団昴の大先輩である福田恆存の訳を使った由。
ヘティのモデルとなったナンシー・ヒューインズという人について、翻訳した芦沢みどり氏が詳しく書いてくれている。
この人と彼女たちの劇団のことは、この戯曲が書かれるまで忘れられていたという。
埋もれていた彼女たちの功績を甦らせてくれた作者には、大いに感謝したい。
ただ、本国の英国でもこの作品があまり上演されないのは、やはり長過ぎて、感傷的過ぎるためだろう。

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「地獄のオルフェウス」

2023-05-28 23:35:23 | 芝居
5月23日文学座アトリエで、テネシー・ウィリアムズ作「地獄のオルフェウス」を見た(文学座公演、演出:松本祐子)。



アメリカ南部の田舎町での陰鬱な雨の季節の物語。
病気の夫を抱えて雑貨店を営むレイディ(名越志保)は、愛のない孤独な生活を送っている。
この町にギターを手に流れてきた若い男ヴァル(小谷俊輔)。
蛇革の服を着たよそ者は、女たちの欲望と男たちの憎悪に火をつける・・・。
絡み合う孤独な魂が光を求め彷徨い、その先に見たものは・・・(チラシより)。

その楽日を見た。
この芝居は、2013年に東京芸術劇場シアターウエストで見たことがある。
tpt公演、演出は岡本健一、主演は保坂知寿と中河内雅貴だった。
あの時とは舞台の大きさが桁違いなので、その意味でも興味深い。

犬の吠え声がするたびに、ヴァルはビクッと怯える。
かつて警察犬が容疑者だか黒人だかを追って行って八つ裂きにするのを何度も見たと言う。
すごい時代だ。
ここでは人種差別どころじゃない、一人の男を何人かが寄ってたかってリンチしたって何のお咎めもないらしい。
当時、米国は、まだ法治国家と言える国ではなかったようだ。

レイディの父はイタリアからの移民で「イタ公」と呼ばれていた。
禁酒法の時代、彼は土地を借りて葡萄園を作り、そこにあずまやを15コ作ったので、町の人々はしょっちゅう集まって楽しんだ。
だがある時、父が「黒んぼに酒を売った」ために、運命は反転する。
秘密結社の男たちが果樹園に火をつけ、消防車は一台も来なかった。
父は一人で毛布を手に火を消そうとして焼け死んだ。
恋人の子を妊娠していたレイディは、その男に捨てられ、お腹の子を中絶し、今の夫ジェイブと結婚した。
町の人々は、レイディがジェイブに「安く買われた」と噂している。
後にレイディは、あの時火をつけた男たちの中にジェイブもいたことを知る・・・。

奇妙な人々が、次々と登場する。
化粧の濃い、イカレタ若い女キャロル。彼女はレイディのかつての恋人の妹だった。
保安官の妻で絵描きの女。彼女は日々、夫の仕事の関係で残酷なものを見聞きしているためか、宗教画を描き始め、次第に奇妙な言動をするようになる。
背の高いネイティブアメリカンの男。彼が登場すると、他の人々は怖がって逃げたり、彼を追い出そうとしたりする。
だがそういう彼の存在に、どういう意味があるのか不明。
そして町の噂好きな女性たち。彼女らは偏見に満ち、厚かましくて冷酷で独善的。

ヴァルは30歳の誕生日にこの町にやって来た。
これまで流しでギターの弾き語りをしてきたが、これからは生き方を変える、と決心して。
だが、あまりに目立つイケメンぶりと、生来の意味深な言動が、女たちを惹きつけ、男たちの憎しみを募らせる。
キャロルは敏感に状況を感じ取ったらしく、彼に「ここにいたら危ない。一緒に逃げよう」と言うが、ヴァルは断る・・。

今回、一番戸惑ったのは、主役レイディの造形。
彼女がヴァルに対してガミガミ𠮟りつけたりわめいたりするので、ただのうるさいおばさんに見えてしまう。
この二人が恋に落ちるなんてことがあるだろうか?
ヴァルがこんな女に魅力を感じたりするだろうか?
奇跡でもない限り、そんなことあるわけない、と思えてしまう。
今回の演出は、この一番肝心なところがまずい。
レイディは、確かにもう若くはないし、疲れてはいるが、まだ人を愛する素直で瑞々しい力が残っているはずだ。
そこを信じさせてくれないと困る。
松本祐子という人は、2019年に『スリーウインターズ』という非常に面白い芝居を演出した人で、この時は素晴らしかったが。
残念だ。

タイトルについて。
原語では "Orpheus Descending" (オルフェウスが降りていく)だが、彼が降りていく先は地獄ではない。
地獄はキリスト教の概念であり、罰としてあるものだが、オルフェウスはギリシャ神話の登場人物であり、キリスト教以前の話だ。
そこでは人間は死んだらみんな冥界へ下る。善人も悪人も区別なく。
オルフェウスの妻エウリディーチェは蛇に嚙まれて死に、冥界に下り、彼女を追ってオルフェウスは冥界に下った。
この戯曲は、その神話をモチーフにしている。
したがって、『地獄のオルフェウス』という訳は適切ではない。
長年日本で親しまれてきた題名ではあるが、このあたりで変えたらどうだろうか。
たとえば『オルフェウス冥界へ下る』とか。
レイディは20年間死んだように生きていた、そこに(彼女を救いに)ヴァルが現れた、というわけだ。

20年もの間、暴君のようにレイディを支配してきた夫は、実は父の仇だった。
その夫の死を、レイディはじりじりしながら待っている。
だが、すぐにも死にそうな老いた夫が、なかなか死なない。
それどころか、ある日、仕事熱心な看護婦にリハビリを勧められて階下にゆっくりと降りて来る!
若い愛人ヴァルが階段下の小部屋に泊まっているというのに!
もはや絶体絶命か・・という状況が、劇的緊張を生んで効果的。

ラスト近くで、レイディは自分が再び妊娠したことを知り、急に表情が柔らかくなる。
「こんな枯れ木に」と彼女は歓喜する。
何も言わずに出て行こうとしたヴァルを、ついさっきまで激しい口調で引き留めていたのに、突然、「逃げて」と彼の身を案じる。
その変化が印象的。
だが今度はヴァルの方が、彼女を置いて行けなくなってしまう・・。

10年ぶりに見た今回、以前より細部まで見えてきたように思う。
レイディの苦しみと悲しみ、そしてつかの間の、ほんのつかの間の激しい喜びと、二人の悲劇が胸に迫って来る。











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「金閣炎上」

2023-05-20 09:47:59 | 芝居
5月16日紀伊國屋ホールで、水上勉作「金閣炎上」を見た(劇団青年座公演、演出:宮田慶子)。




大正14年、若狭湾に面した寒村の成生(なりう)に若い女がやって来た。
西徳寺の住職道源(石井淳)のもとに嫁入りする志満子(魏涼子)である。
この辺境の末寺で結核に病む道源と結婚生活が始まった。
昭和4年、養賢(君澤透)が生まれる。
しかし成長するにつれて養賢には重度の吃音症があらわれる。
「貧寺の子が生き残るためには僧侶になるしかない・・・」
そう考えた父は養賢を金閣寺に入れたいと強く願う。
昭和18年、父の死から一年後、養賢は金閣寺で得度式をあげ見習い僧となる。
しかし父から受け継いだ肺病症状が現れ、母の待つ故郷で養生することになった。
昭和20年、戦争は終わった。
成生から京都に戻ってきた養賢が見たものは・・・。

作者・水上勉氏が自らの実体験と重ね合わせて描いた名作小説を作者自身が戯曲化。
40年の時を超えて、青年座に新たな「金閣炎上」が誕生する(チラシより)。
ネタバレあります注意!

<1幕>
冒頭、文殊、観音、達磨、弥勒ら6人の菩薩像が現れる。
彼らが優美な茶色の衣を脱ぐと、村の人々となり、一人ずつ前に出て道源と志満子の噂をする。
道源は病弱で、仕事もできず寝てばかりいる。
家の事情で追われるように出てきた許嫁の志満子は、高慢で派手好き。
養賢が生まれた後も、二人は始終喧嘩ばかり。
志満子は息子が3歳頃から、村の男と不倫の仲となる。
昭和17年、養賢は中学に入学するが、父が肺結核で死ぬ。
翌年、養賢は金閣寺の小僧となる。
 ~ここで休憩~
<2幕>
金閣寺の長老・妙海(横堀悦夫)は養賢に目をかけてやるが、養賢は先輩方にはあまり評判がよくない。
中学に通っていたが、戦争のため、勤労動員で兵器を作る日々となる。
次第に咳と痰が止まらなくなり、休学して寺で寝ていたが、食糧難の折から里に帰らされる。
母は寺に居続け、村の愛人に世話してもらって軍手作りなどの針仕事をしている。
本来、禅寺では住職が死んだらその家族は寺を去るのが決まり。
でないと次の住職を呼べず、村の人々が困る。
養賢はそう言って母に故郷に帰るよう勧めるが、母は聞かない。
養賢は、母が愛人のおもちゃにされている、自分は父と同じく結核だ、と言い、母は必死で否定する。
だが彼はせき込んで血を吐く。愕然とする母。
敗戦。
体調が回復した養賢は金閣寺に戻る。
学校仲間との会話。
相変わらず飢えに苦しむ日々。
大学の授業をサボり、悪い仲間と詐欺まがいのことをして警察から寺に連絡が行く。
妙海は彼を𠮟りつけ、故郷の母の方を向いて謝れ、と言うが、彼は妙海をにらみつけて唸り声を上げるのみ。
妙海もさすがに匙を投げ、彼を見放す。
彼は2軒の質屋に冬のコートなどを3回にわたって入れ、千数百円の金を手にする。
このあたりから、学友や質屋が前に進み出て、彼について証言する。
女郎屋。2度目に行くと、女の故郷の話を聴く。
「今に新聞に載るよ」と妙なことを言う。
女「警察が来たら退学でしょ」「この前そんな人がいた」
当日、彼はいつものように過ごし、特に変わった様子はなかったという。
金閣寺に放火した後、彼は近くの山に行き、睡眠薬を飲み胸を刺したが死にきれず、苦しんでいるところを警察官らに発見される。

志満子は刑務所に面会に来るが、養賢は会いたくないと突っぱねる。
彼女は刑務官に泣いて取りすがるが、とうとう諦めて帰ってゆく。
彼女が帰った後、刑務官は「親なら肌着くらい持って来るもんだ」と言う。
このセリフを聞いてハッとなった。
彼の母は、彼を溺愛しているように見えたが、実は自分のことしか考えていなかった。
息子に会わせて下さい、としきりに泣く姿からはわからなかったが、経験豊富な刑務官にはわかった。
この母親は、息子のことを案じてもいないし愛してもいない、と。
彼女は、息子が大罪を犯してしまったために、村の人たちから白い目で見られる、自分はもう寺にいられない、と、それしか考えていない。
そんな母の心が息子にも伝わっているから、息子は会いたくないと言うのだ。

結局のところ、彼の行為は、寺での飢え、安楽な暮らしをする高僧たちへの憎しみ、教えへの疑問、といったものから生まれたようだ。
三島由紀夫の「金閣寺」では、美への嫉妬が動機だった。
水上勉のこの作品の方が、動機としては分かり易いかも知れない。

今回もまた、宮田慶子の演出が素晴らしい。
作者自身による脚本もいい。
役者陣もいい。みな非常にうまいし、言葉(方言)のイントネーションが自然で、聴いていて実に心地良い。
音楽(和田薫)もいい。と言ってもごくごく短い音が要所要所に入るだけだが、それがその場にピタッとハマっていて劇的緊張が高まる。







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「ラビット・ホール」

2023-05-04 21:53:29 | 芝居
4月25日パルコ劇場で、デヴィッド・リンゼイ=アベアー作「ラビット・ホール」を見た(翻訳:小田島創志、演出:藤田俊太郎)。



ベッカ(宮澤エマ)とハウイー(成河)は幼い息子を交通事故で亡くした。
それから8ヶ月たつが、ベッカはまだ息子の死を受け入れられず、先に進むことができないでいる。
ベッカの妹イジ―(土井ケイト)と母(シルビア・グラブ)は、そんなベッカとの関わりに心を砕いている。
息子を誤って轢いた少年ジェイソン(阿部顕嵐)が訪ねて来る。
彼との会話が、思いがけずベッカの再生のきっかけとなる・・。

前回これを見たのは、2022年11月、ピット昴の小さな空間で、翻訳と演出は田中壮太郎だった。
ついこの間見たばかりだが、成河という、たいてい変わった役をやる人が、ごく普通の夫を演じるところもたまには見たくて行った。
他にも土井ケイトとかシルビア・グラブとか、うまい人が出るし。
宮澤エマは、昨年の大河ドラマと映画「記憶にございません」で見たことがあるが、ミュージカル畑の人らしい。
ナマで見るのは初めて。
今回、翻訳も演出も違う上に、会場の大きさも全然違う。
その楽日を見た。
<1幕>
幕が上がると、舞台中央から二階に向かって白い階段が斜めにかかっていて美しい(美術:松井るみ)。
その白い階段の上から、青いゴムボールがゆっくり転がり落ちてくる。
二階に男の子がいたことがわかる、素敵な導入だ。

下手にキッチン。(前回は上手奥がキッチンで、評者の席からはほとんど見えなかった)
少し下がっていた幕が、途中で全部上がると、上手上方に男の子の部屋が出現。
ベッカは階段を上がって行ってその子供部屋に入り、ベッドに腰掛けて、ジェイソンからの手紙を見る。
1幕ラストでハウイーは、息子との最新の、一番長いビデオが永遠に消えてしまったことを知って号泣!
~休憩~
<2幕>
ハウイーがオープンハウスと書かれた赤い看板を舞台前方に置く。
仲介料を取られたくなくて OHBO (オープンハウス・バイ・オーナー)にしたが、やっぱりなかなか人が来ない。
イジ―が彼にアドバイスする。
ついでに、自分の友人が、レストランでハウイーが一人の女性の手を握っているのを見かけた、と言う。
ハウイー「彼女は支援グループの人で、娘を白血病で亡くした人だよ!」「慰めちゃいけないのか!?」
イジ―「わかった。誤解が解けてよかった」
今回、彼女はここで本心からそう言っているようだ。
そこに母娘が帰宅。
スーパーで、幼い男の子が母親にお菓子を買ってもらえず泣いていた。
その子の母親がいつまでも買ってやらないので、ベッカは説得しようとしたが、拒まれ、何とその女性をひっぱたいたという。
だが、話を聞いてイジ―は「私も殴る」と言う。(今回、ここで客席から笑いが起こる)
今回のイジ―は笑い担当のようによく笑いを取る。
この時、突然ジェイソンが入って来る。
驚いたことに今回、ハウイーは途中までこの高校生に敬語で話す。
もちろん突然のことなので、この日はすぐに帰ってもらうが、前回ほど怒ったり怒鳴りつけたりしない。
次にジェイソンが来た日、ベッカは手作りの菓子を振る舞う。
キッチンにディケンズの「荒涼館」があるのを見て、ジェイソン「読みかけたけど長くて・・」
「デヴィッド・カッパーフィールドは面白かったです」ベッカ「あれも長いでしょ?」ジェイソン「ええ、でも・・面白かったです」
話している間に、二人の間に何かしら温かいものが通い合う・・。

数ヶ月前に見た芝居なので、つい比較してしまったが、よくできた作品なので、やはり面白かった。
ベッカが大事なセリフ「4歳で事故死したダニーと、30歳でヤク中で首を吊ったアーサーを一緒にしないで!」を早口で言ったのが惜しい。
お客はベッカの兄の死の経緯を、ここで初めて知るのだから、もっとゆっくり言ってほしい。
確かにここで彼女は怒って叫ぶわけだが、それでも何とか工夫して、客席にいるすべての人が、よく吞み込めるように言うべきだ。

ラスト近く、イジ―が気をきかせて母を急き立てて帰るシーンで、もう少し間がほしい。
ここで彼女はまさに「空気を読んで」姉夫婦の仲を取り持とうとしたわけだが、それが感じ取れるくらいに間があると、なおよかった。

この日は満席。さらにスタンディングオベーション。
役者達は皆さん、期待通り好演。
今回の翻訳は手慣れていて柔らかく、品がある。
よくできた芝居は、何度見ても面白い。

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『Our Bad Magnet 』

2023-04-25 22:31:21 | 芝居
4月11日東京芸術劇場 シアターウエストで、ダグラス・マックスウェル作「Our Bad Magnet 」を見た ( 演出:大河内直子、翻訳:広田敦郎)。



舞台はスコットランド南西部の海岸にある小さな町、ガ―ヴァン。登場するのはアラン、フレイザー、ポール、ゴードンの4人の同級生たち。
かつては人気観光地だったがすっかりすたれてしまったその町に、29歳になった彼らが苦い思い出を抱えながら集まってくる。
地元に残ったアラン、元リーダー格のフレイザー、ロンドンで働くポール、そして・・・。
彼らの9歳、19歳の場面を行き来しながら、思い出たちが少しずつ明らかになっていく・・・。
劇中劇を盛り込みながら、現実とファンタジーが交差し人生の真実を浮き彫りにしていく切ない青春物語(チラシより)。

<1幕1場>
崖の上でアラン(奥田一平)、フレイザー(松島庄汰)、ポール(木戸邑弥)が再会する。彼らは29歳で、会うのは5年ぶり。
アランとポールは、アランが小学校で或るものを作っていると言う。びっくりさせることがあるとも。フレイザーは不機嫌。
<同2場>
3人は9歳。学校帰りに崖の上で話していると、ギグルス(本名はゴードン、小西成弥)が来る。彼は転校生で、笑わない子。
3人は新しい単語を作る遊びを始める。作った単語が1年くらいたって辞書に載ったら、フレイザーの父親が5ポンドくれると言う。
ギグルスは物語を書いて賞を取った、と先生が言っていた。どんな物語を書いたのか尋ねると、ギグルスは話し始める。

<劇中劇(ギグルスの書いた物語)>
金の国に皇帝がいた。何もかも金だが、彼は幸せではなかった。
ある日、城から下を見ていると、一人の貧しい娘が目に留まった。
彼女は誰よりも美しかったが、彼が一番気に入ったのは、彼女が金を身につけてないことだった。
彼女は肉屋の娘で、父親が母親を殺したので悲しんでいた。
皇帝は彼女を妃にした。
一年後、皇帝は彼女の誕生日に何をあげたらいいか迷い、臣下に相談すると、金のブレスレットを勧められる。
そこでそれをプレゼントした。それから金の冠や金のドレスや・・・。
それらを身につけた彼女は、次第に他の女性たちと変わらない姿になっていった。
ある日、彼女は湖で溺れて死んだ。
金のドレスが重すぎたのだ。
悲しんだ皇帝は、魔法使いに「空の花園」を作らせた。
だが肉屋は、娘が溺死したことを信じず、民衆を扇動して暴動を起こす・・・。

ギグルスが「今日は僕の誕生日なんだ」と言うので、みんなはポケットからコインやサッカーのカードを出して、プレゼントする。
ポールとアランは帰り、フレイザーはギグルスと残って話をする。
フレイザーの両親は弁護士。
ギグルスの父は腹話術師。腹話術に使う人形を「僕より可愛がっている」。ギグルスの本名はゴードン。
フレイザーの両親は厳しく、彼はいつも「お前は何をやってもダメな奴だ」と怒鳴られている。
フレイザーはギグルスに、その人形を取って来いよ、とそそのかす。

<同3場>
彼らは19歳。フレイザーとポールがビールを飲みながら話している。
フレイザーが昨日ティナとキスした、と自慢するが、ポールはティナとキスどころか何度もヤッテいるとわかり、フレイザーは啞然とする。
だってティナはアランと婚約しているのだから。
そこにアランが来て、ギグルスに「バンドを抜けてくれ」と言ったと言う。「だってみんなそう言ってたじゃん」
二人は慌てる。二人は確かに抜けてほしいと口にしていたが、直接本人に言うのはためらっていたのだった。
実はギグルスは夏(フレイザーが町を離れていた頃)に警察署にガソリンをまいて火をつけて逮捕されていた。
ギグルスは、今度は小学校に火をつけるとか言っている、とアラン。
その時大きな音がして、3人は駆け出す。
<休憩>
<2幕1場>
彼らは9歳。ギグルスは父親の人形を持ち出して、フレイザーと一緒に人けのない所に来る。
この辺りには幽霊が出そうだとギグルス。
フレイザーは人形を持ってしゃべらせているうちに興奮し、日頃両親から言われている罵倒の言葉を口走る。
二人で人形の首や腕を引っこ抜く・・。
<同2場>
彼らは19歳。崖の上にフレイザーがいると、アランが来る。
「ソーセージロール食べる?」
ギグルスが小学校に放火し、湖に身を投げて死んだらしい(遺体はまだ見つかっていない)ので、葬儀のようなものが行われているらしい。
フレイザーはそこを急に抜け出してきたのだ。
アランが何事もなかったかのようにソーセージロールを食べ続けるのでフレイザーは呆れる。
ポールが来て、ギグルスの叔母と話した、牧師が最後にバンドで何か2曲ほど演奏してくれないか、と言っている、と言う。
だがフレイザーはきっぱり断る。
フレイザーはまだギグルスの自殺を信じられない。
ギグルスのカバンが残されていて、中に自作の物語がたくさんあり、手紙もあった。
これらが3人のものだ、という内容。
<同3場>
29歳のフレイザーとポールが再会する。
ポールがアランの妻ティナと、まだ関係を続けているとわかる。
アランとティナがロンドンに来た時に、2人の仲が再燃した由。
「ティナを愛している」とポール。呆れるフレイザー。
アランが二人を小学校の中に案内する。
そこで彼は或る機械を作っていた。
夜はずっとここでこれを組み立てていた。
ある日、帰宅するとティナが泣いていた。
病気になったのかと心配したが、妊娠したと言う。
いいことじゃない!と言うと、「あなたを愛してる。でもあなたの子供は欲しくない」と言われた由。
沈黙。
フレイザーはポールに「言ってやれよ」。
ポールは焦ってごまかす・・・。
一方、フレイザーは定職につかずにいる。
フレイザーはギグルスの書いたたくさんの物語の中から「磁石の話」を読んでくれ、と言う。

<劇中劇Ⅱ(ギグルスの書いた物語)>
あるところに磁石たちがいた。一つの磁石がもう一つの磁石に恋をした。
その子に近づこうとするが、どうしても近づけない。
磁石同士なので反発し合って離れよう離れようとしてしまう・・・。

ポールはギグルスの書いた物語を仕事の関係で小さな本に載せていたら、先日、米国の出版社から、その中のいくつかを本にしたいと言ってきた、と言う。
フレイザーは反発する。
それらはオリジナルなんかじゃない、パクったものだ。あんなもの、9歳が書けるわけない・・。
ポールは出版関係の仕事をしているので、あれらがパクリなんかじゃないと感じている。
誰かがアランの機械のスイッチを入れると、紙吹雪が勢いよく飛び出し、天井高くまで舞い上がる・・・。
彼らはいまだにギグルスの死を受け入れることができないでいるようだ。
彼の生と死の解釈をめぐって、フレイザーとポールの思いはどこまでも平行線をたどる。

ゴードンの自殺は、フレイザーの言う通り、バンドを抜けてくれ、と言われたことがきっかけだろう。
笑わない子がギグルス(クスクス笑い)と呼ばれているという皮肉。
タイトルの意味は興味深い。これは到底訳せないでしょう。
原語のままで仕方ない、いや正解かも。
苦い、あまりにも苦い青春の日々。

広田敦郎の翻訳は生き生きしていて素敵。
役者は知らない若者たちだったが、みな好演。
特にフレイザー役の松島庄汰がうまい。







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ペーター・ハントケ作「カスパー」

2023-04-07 23:26:34 | 芝居
3月23日東京芸術劇場シアターイーストで、ペーター・ハントケ作「カスパー」を見た(演出:ウィル・タケット)。



突然我々の世界に送り込まれてしまった一人の人間。名はカスパー。自分の意思をもったことがなかった人間がことばを手にした時・・・。
それは自由への扉なのか、それとも悪夢の始まりなのか・・・。
外界と遮断されたまま成長した謎多き孤児カスパーの物語(チラシより)。

カスパー・ハウザーとは、19世紀の始め、ニュルンベルクの路上に突如として出現した16歳位の青年のこと。
人々が話しかけても、いくつかの意味不明の言葉しかしゃべれない。
交互に足を動かして歩くことすらできない。
人々は不思議がり、気の毒に思って食べ物を与えるが、パンと水以外は受けつけない。
どうも、生まれた時から地下牢のようなところに閉じ込められていたようだ。
人々は彼を、貴族の血を引く子供で、生後間もなく誘拐されたのではないか、と想像するが・・・。
以上は、評者がフォイエルバッハ著「カスパー・ハウザー」などから知っていた情報。
カスパーについて、これまで数多くの書物が世に出されてきた。
ノーベル文学賞作家、ペーター・ハントケは、果たしてどんな戯曲を書いたのか。

カスパー(寛一郎)が床に横たわっている。
下手に3人の男たち(プロンプター)が席についており、カスパーと言葉との関係について口々に切れ切れの言葉を語る。
その言葉は繰り返しが多く、あまりにも抽象的。
3人の黒衣の男たちが彼の体を起こし、手と足を一つひとつ動かして歩かせる。
彼は操り人形のように、されるがまま。だが途中で倒れてしまう。
すると3人はプロンプターたちに指示を仰ぎ、再びカスパーを起こして歩かせ始める。
彼は次第に言葉を学び、語彙が増えていく。
かつての自分がわずかな言葉によって何を言いたかったのか、しきりに説明しようとする・・。

詩人でもある作者ハントケの興味は、もっぱらカスパーと言葉の関係にある。
ひいては人間にとって言葉とは何か、という問題であり、その手法は前衛的だ。
作家・山下武氏が書いているように、主人公カスパーは、この難解な前衛劇の素材であるに過ぎない。
だが評者は(ごく普通のミーハーなので)、彼の出自と、彼を誘拐した者の動機や、監禁した者、育てた者について、興味がある。
たとえば、バーデン大公国の王位継承権をめぐる宮廷内の陰謀の犠牲者ではないか、と推理する人もいて、好奇心をそそられる。
生後間もなく死んだとされた第一王子ではないか、というのだ。
何しろ彼は、社会復帰後5年目に暗殺されてしまうのだ。
その日、現場近くで立派な服装の紳士が目撃されている。
その頃には、彼はちゃんとした文章を書けるようになっていたので、秘密がばれるのを恐れた人々がいたということではないだろうか。
この芝居は、そういう評者には、あまりにも難解で前衛的だった。

ただ、主演の寛一郎は熱演。
彼の「プロンプター」役の首藤康之、下総源太朗、萩原亮介も、抽象的な言葉を緻密に重ねていき、好演。

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「歌え!悲しみの深き淵より」

2023-03-24 22:22:41 | 芝居
3月14日俳優座劇場で、ロバート・アンダーソン作「歌え!悲しみの深き淵より」を見た(劇団東演公演、演出:鵜山仁)。



1年前に妻キャロルを亡くしたハリーは、現在、カリフォルニアに住む医師ペギーと交際中で、結婚を考えている。
両親の家はニューヨーク州にあり、彼も近くに住んでいる。
姉アリスはユダヤ人との結婚をきっかけに、父に絶縁されている。
両親はハリーに何かと頼っているため、彼は、カリフォルニアに移住したいという気持ちを抑えつけている。
母は再婚を勧めてくれるが、頑固な父は、息子が遠くに移住することを認めようとしない。
そんな時、母が心臓発作で倒れる・・・。
(ネタバレあります)

母は社交的で、さまざまな会を主催したり関わったりしていたが、過去に何度も大病を患ったことがあった。
ハリーと母とは深い愛情で結ばれていた。
だが父は、過酷な生い立ちと、その後のがむしゃらな仕事、そして成功し、市長まで勤めた立身出世の過去を誇るあまり、頑固で頑なな性格。
息子は、そんな父親を否定せず、できる限り我慢して受け止めてやろうと努めている。

ハリーはあまりにも誠実で親思いの息子で歯がゆいくらいだが、姉アリスには本音をぶちまける。
曰く、知人たちは「いいお父さんだ」と言うが、みんな父の本当の姿を知らないんだ!わがままで自己中心的で・・。
母さんが死んだのも、そんな父さんのせいで・・。
姉は彼を慰め、「これからどうするか決めないと」「ペギーと結婚してカリフォルニアに住むべきよ」とはっきり言う。
母の死をペギーに知らせたか、とも尋ねるが、ハリーはペギーを自分の家族の問題に巻き込みたくないので電話することを躊躇している。
姉と弟は、父親と向かい合う。
アリスは父に、住み込みの家政婦を雇ったらどうか、と提案するが、案の定、父は言下に「何?その女と一緒に暮らすのか?
いらん!無理だ」「ハリーが週に1度か2度、来てくれれば」と繰り返す。
アリスが「ハリーは結婚したいのよ」と言うと、父は怒り、またしても、自分が働き続けてお前たちに着せ、食べさせてやった、
おれは今まで何千人もの人間を雇ってきたんだ、お前たち、そんなに人を雇ったことがあるか?と、話が妙な方向に展開していく。

父は最近、時々ぼんやりして忘れっぽくなり、それを人に指摘されると「ザル頭でな」と言ってはいるのだが。
父が「おれは元気だ、どこも悪くない」と言うと、アリスが「お父さん、立つ時、時々目まいがするでしょ?」
「そんなことあるもんか」と言いながら立ち上がるが、少しよろけてしまう(能登剛のよろけ方が、実に自然でうまい)。
結局父は、「おれはお前たちの世話にはならん!出て行け!」と言い放ち、寝室へ。

ハリーが父の寝室に入ると、父はパジャマ姿で片づけ中。
父の父親の写真を初めて見せてもらうハリー。母親のも。
父の母親は26歳で亡くなり、葬儀の日、出奔していた父親が突然戻って来ると、9歳だった彼は激怒して父親を追い返した。
その時から父は、弟妹を養うために働き続けた。誰も助けてくれなかった。
父親への憎しみは生涯続いた。
突然、父は「こんなはずじゃなかった。おれが先に逝くはずだったんだ」と妻の死を嘆く・・。

ハリーは声が良く、大学でグリークラブに入っていた。
家で彼が歌うと、母がピアノで伴奏したものだった。
父はそれを隣の部屋で聴くのが好きだったが、父が部屋に入って来ると、二人は音楽を止めるのだった・・・。

最後の最後に、息子はようやく父に対して本音を言う。
僕は母さんを愛してた。パパのことも愛したかった、と・・・。

老いてゆく父親を描いたフロリアン・ゼレールの戯曲「父」を思い出した。
もちろんだいぶテイストが違うが。

役者では、父トム役の能登剛がメチャメチャうまい!
頑固で厄介で、家族を困らせる父親を、見事に造形する。
今までどうしてこの人を知らなかったのか不思議だ。
しかも、80歳の役なのに、実はもうすぐ59歳だという!
評者はすっかり騙された。
今年度の最優秀男優賞は、この人で決まりかも。

原題は、I NEVER SANG FOR MY FATHER 。
心優しい息子の悩む姿、苦労人の父親の心情、いずれも普遍的で、翻訳劇とは思えない。
この日、劇場中が温かいもので満たされた感じがした。

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野村萬斎版「ハムレット」

2023-03-18 09:26:58 | 芝居
3月6日世田谷パブリックシアターで、シェイクスピア作「ハムレット」を見た(翻訳:河合祥一郎、構成・演出:野村萬斎)。



父である先王の亡霊から死の経緯を知らされたハムレットは、その死を仕組んだ叔父クローディアスへの復讐を誓い狂気を装う。
この復讐計画により、ハムレットを慕うオフィーリアやその兄レアティーズ、王妃である母親ガートルードをはじめ、彼の周りの人々は
その運命の歯車を狂わせていく(チラシより)。
ネタバレあります注意!

今回、野村萬斎は戯曲を構成し直し、クローディアスと亡霊とを演じ、息子野村裕基がハムレットを演じる。
そのプレビュー公演の日に、若村麻由美のガートルードと、たぶんホレイショー役の采澤靖起目当てで足を運んだ(予想は当たった)。
構成というのでカットが多いかと思ったが、休憩を含めて3時間半かかるという。
ではしっかりやってくれるのかと期待したが・・・。

冒頭、「誰だ!」という言葉がこだまして何度も響き渡り、舞台から張り出した階段にハムレットが倒れている。
ここで早くもいやな予感。その後も、やたらと余計なことをつけ足し、肝心の原文のセリフはカットし・・。

亡霊は甲冑姿どころか能のお面と衣装をつけている。音楽も和(笛や太鼓)。
新王クローディアスと王妃登場。王は変な金の頭飾りをつけていて、それが和というより無国籍風で、実に奇妙だ。
二人の衣装も和風。妃は真紅。王は紫と赤。
王のしゃべり方は癖があって妙だが、亡霊の方は(同じ萬斎だが)悪くない。異形のものだからか。
ポローニアス役の村田雄浩がうまい(この人は墓堀り1も兼ねる)。コミカルで面白い。
彼はハムレットがオフィーリアに宛てた恋文を王と妃に読んで聞かせる時、思い切っておかしな読み方をする。

芝居の順序を変えたりしているので、所々矛盾している。つまり破綻あり!

劇中劇がいい。
座長(河原崎國太郎)が王と妃の二役をやり、黒子が衣装を半分つけたり脱がせたり着替えさせたりと慌ただしいが、
河原崎が声音を見事に変えるのでまったく問題ない。
  
 ~休憩~

<2幕>
クローディアスが一人神に祈るシーンでも、セリフをだいぶつけ加えている。これではもはや翻案ではないか。腹立たしい。
王妃の間の、いわゆる「クローゼットシーン」で、妃は白とブルーのドレス。
ポローニアスを殺した後のハムレットのセリフも、原文とだいぶ違う。
その後の追っかけっこを、軽快な音楽を流しながら長々とやる。かりにも人一人殺されたというのに、その神経が理解不能。

王宮前で、民衆が「レアティーズを王に!」と騒ぎ出した時、王は妃に状況を説明するが、同じセリフを二度繰り返したりして危なっかしい!
聞いていてハラハラドキドキ。プレビューだからか。

オフィーリア狂乱の場で歌われるのは、ちゃんとした歌でなく断片的なもの。
ここでもまたセリフが少し違う。

妃がオフィーリアの死を語る時、二階にオフィーリアが現れ、水に飲まれるシーンを表現する。

ホレイショーのところに船乗りが来てハムレットからの手紙を渡すシーンで、王宛ての手紙と王妃宛ての手紙も差し出す。
この2通を、なぜかそこに置いたまま二人は去り、王妃がそれを見つけて読むという場面がつけ加えられる。なにゆえ?

墓堀り二人が客席側に退場する時、口を覆って「飛沫が・・」とか時事ネタで笑いを取る。

決闘。途中で剣が入れ替わるはずが、なかなか替わらずドキドキ。
王妃は王がワインの盃に毒を入れる時、じっと見ている!なに?!
彼女はその盃を王の手から取って飲もうとし、王が止めようとすると真顔で「飲みます!」などと強く主張する・・なに?
彼女は自殺しようとしているのか??

ハムレットが「どうした、みんな、顔青ざめて」と言う時、それまで周りを取り囲んでいた廷臣たちは一人もいない。
それでは困るでしょうが!
彼が王に毒杯を突きつけて「飲め!」と言うと、王は周りを見回し、困ってニヤニヤし、「乾杯」と言って飲み、ハハハと笑いながら
階段を降り、倒れている妃のそばに近づいて自分も倒れる。
こんなカッコ悪いクローディアスは初めて見た。
ハムレットの死後、フォーティンブラスが軍を率いて来る。
そのシーンがまた、うんざりするほど長い。

主演の野村祐基は好演。声が父親そっくり。セリフの言い方もそっくり。
ただ、状況によって、もっと違う言い方もできるようになると、なおいい。

この日の演出には失望のひと言。
萬斎の演出・主演の「マクベス」を見たことがある(2010年3月)が、その時の自分のブログを読み返してみると、絶賛していた(笑)。
主に彼の声の美しさ、日本語の美しさを褒めていたのだが、萬斎はその時、戯曲を驚くほど大胆にカットしていた。
何しろたった5人で「マクベス」をやったのだから当然だが、そのため、芝居の筋にとって不可欠な要素すら無くなっていた。
たとえばマクダフ一家皆殺し。
あの事件がなかったら、マクベス夫人は気が狂うことはなかったかも知れないのだから、カットすることで芝居に無理が生じる。
その他、バンクォー殺しもない、フリーアンス省略、逃亡する王子たち省略、医師と侍女もいない。
これでは、この芝居のおいしいところ、深い味わいが、まるでなくなってしまう。
そして、ただひたすら魔女たちの存在を強調して、全体をそれで押し通している。
しかもラストでは、絶望しているはずのマクベスが「おれは明日を信じるぞ」と言う。
実は、これが一番いけないのだが。

この人がシェイクスピアのどこを面白いと感じているのか、が今回ようやく少しわかった。
今回も、亡霊が出てくるのが面白いと思ったのだろう。
それと、全体を和風にしたら面白かろう、オリジナリティが出せるだろうとも。
もちろん日本趣味を前面に押し出し、わが国の伝統とシェイクスピアを絡めたのは面白かったが。
幼い頃から日本の伝統芸能の中で厳しく育てられてきた彼は、神とか罪とか良心の呵責などという概念には、あまり関心がないのだろう。
シェイクスピアの芝居の根底には、そういうものががっしりとあり、そこを無視しては一番面白いところが抜けてしまうと思うのだが。
そこでは人間がこの世で経験するありとあらゆる感情、心情が描かれていて、見ている私たちも、それらを共に経験できるのだ。
それが観劇の醍醐味だろう。
例えば、クローディアスは悪い奴だが、彼だって、2008年に RSC でパトリック・スチュアートが演じたように、演じ方次第で胸が締めつけられるほど
観客の同情心をかき立てることもできるのだ。
だが萬斎にとっては魔女だの亡霊だのというのが演劇として面白いというだけのことのようだ。
まあ、何を面白いと思うかは、人それぞれだからかまわないが。
彼は、これを持って「世界に打って出る」と言っているようだが、少なくとも、順序を変えたために破綻しているところだけは直した方がいい。




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「ペリクリーズ」

2023-03-11 17:47:03 | 芝居
3月2日シアターχで、シェイクスピア作「ペリクリーズ」を見た(演劇集団円公演、翻訳:安西徹雄、演出:中屋敷法仁)。



過酷な運命にもてあそばれるペリクリーズの波乱万丈の物語。
ツロの王ペリクリーズはアンティオケの王女に求婚するが、父王と娘のおぞましい関係を見抜いて命を狙われる。
彼は国を忠臣に任せて旅に出るが、嵐で遭難し、ペンタポリスにたどり着く。その国の王が主催する槍試合に勝利した彼は王女サイサと結ばれる。
二人してツロに帰国する途中、またも嵐にあい、身重のサイサは船上で娘を出産するが命を落とし、ペリクリーズは泣く泣く妻を海に葬る。
だが棺はエペソスに流れ着き、貴族セリモンによってサイサは命を救われる。
ペリクリーズは船上で生まれた娘マリーナをタルソの太守夫妻に託し、一人ツロに帰国。
15年たち、太守の妻は美しく成長したマリーナを妬み、命を狙うが、マリーナは海賊に誘拐され、ミティリーニの女郎屋に売られてしまう。
だがマリーナは、その美しい声と説教で次々と客を改心させ、太守ライシマカスも彼女に心惹かれる。
娘との再会を待ちわびたペリクリーズは、娘が亡くなったと聞かされ、再び絶望の底へ突き落される。
憔悴した彼は、ライシマカスの計らいでマリーナと対面する。
互いの身の上話で親子と確信した二人は歓喜のうちに女神ダイアナに導かれ、エペソスの神殿に向かうとそこには・・・。

この作品は、1976年に演劇集団円が安西徹雄訳で日本初演した由。
パンフレットに地図を載せてくれたお陰で、ペリクリーズの長い旅の位置関係が初めてわかった。



上演前、会場にはリュートの奏でるバッハが流れた。それだけで夢見心地になり、期待が高まる。
装置:青い椅子と机がたくさんあるのみ。これらが船になったり、遺体を入れる箱になったり、墓になったりする。
衣装:全員揃いの海を思わせる青い服。男性は三つ揃いのスーツ。女性はワンピース。
踊りや動きが多い。場面転換ごとに、役者たちが前述の机と椅子を目まぐるしく動かす。
これには少々違和感を覚えた。シェイクスピアの芝居はセリフを聴いて楽しむものだと思うが、最近、視覚に訴える演出が多い。

語り手ガワ―役の藤田宗久は、初演時主役を務めた人だが、今回滑舌があまりよくない。
声も小さく、最前列にいた評者にも聞き取りにくかった。
この人は何度も見たことがあるが、これまでそう感じたことはなかった。残念。

暗殺者サリアード役の清田智彦がうまい(この人はライシマカス役も兼ねる)。
暗殺者が二人出て来るが、二人共、右手に真っ赤な革の手袋をはめている。それがわかりやすくて効果的。
ペンタポリスの漁師役の3人を、女性3人が演じるが、これがうまい。
ここの翻訳も面白いし、楽しい。

槍試合に出場する騎士たちは、長い槍を持つはずが、水道管のようなパイプを手に持って登場。奇妙だ。
死んだサイサが、死んだ後も舞台の奥や横に立っているのは変だ。やめてほしい。
セリモンがサイサを生き返らせると、サイサは台の上で立ち上がる。
目を開けてゆっくり上半身を動かすくらいがいいのに、激し過ぎる。
全体に、この演出家はリアリズムを好まないようだ。
ペリクリーズが赤子と乳母リコリダ(杉浦慶子)をタルソの太守夫妻に預けて帰国したところで休憩。

<2幕>
タルソの太守夫人ダイオナイザは乳母リコリダを絞め殺す!
戯曲では乳母は「急死」したとガワ―が報告するだけなので、ここは普通演じないところだが、今回ダイオナイザは思いっきり悪い女にされている。
まあ確かにそんなこともやりかねない女ではある。
そのダイオナイザ役を磯西真喜が好演(女神ダイアナも兼ねる)。

女郎屋の女将役の杉浦慶子もうまい!
マリーナ(古賀ありさ)が女郎屋の客3人を改心させるシーンは、セリフがないが、(たぶんオリジナルの)音楽を使ってうまくできている。
音楽と役者の動きが合っていて、楽しい。

船で、嘆きのあまり誰にも会おうとしないペリクリーズは、茶色い布をかぶってはいるが、その下は今までと同じパリッとしたスーツ。
マリーナに出会えて元気を取り戻し、「新しい服を用意してくれ」と言わねばならないのに変だ。
ここはやはりボロボロの服を着ていてほしいし、(二度とひげを剃らぬと誓ってしばらくたつのだから)ひげぼうぼうがいい。
マリーナが女郎屋に売られた時、着ていた服も、みんなと同じ青いワンピース。
「服もいいねえ」というセリフがあるのだから、ここも何とかしてほしい。
セリフと齟齬があるのは困る。

死んだと思っていた娘に会えたペリクリーズは狂喜して神々に感謝し、ふと「音楽が聞こえないか?」と言う。
評者の一番好きなシーンだが、今回ここで、それまで流れていた音楽がそのまま続く。これはどうだろう。
むしろ何もない方がいい。あるいは、それまで何も流れていなかったところに、かすかに霊妙な音楽が聞こえて来る、とか。

ペリクリーズの妻となる王女の名前はサイサ、タイーサ、セーザ、と翻訳によっていろいろ。
蛇足だが、チラシに「妻を失い、娘と生き別れ、狂気におちながら」とあるが、果たしてそうだろうか。
狂気におちてはいないと思うが。

役者はみなうまい。特にペリクリーズ役の石原由宇とサイサ役の新上貴美の熱演のお陰で、気持ちよく涙を流せた。
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