3月6日、井上ひさし作「ムサシ」(蜷川幸雄演出)を彩の国さいたま芸術劇場で観た。
冒頭の音楽(宮川彬良)で、何だか大河ドラマを見ているような気分にさせられる。
舞台装置は寺の渡り廊下と清々しい竹林だけ、というシンプルな美しさ。そこにセミしぐれが降り注ぐ。これぞまさしく日本の夏だ。
鈴木杏は初めて観たが、声がいいし演技もできる。
白石加代子はいつも通り達者。こんな役者がいたら、誰だって当て書きしたくなるだろう。
藤原竜也も勿論うまいが、たまにセリフが聞き取れないことがある。
小栗旬は長身、白皙、絵に描いたような小次郎だ。
「カチカチ山の狸の(孝行な)遺児」という創作能!このアイディアがいい。時の将軍徳川秀忠(家光?)から書くように言われたという設定はエリザベス一世とフォールスタッフの逸話に想を得たのかも知れないが、なかなか面白い。
日本の人口が3000万人の時、侍が300万人というのは多過ぎやしないか。武士は一割もいたのだろうか。
二人の最後の決闘シーンで、切々と胸に迫ってくる音楽と機関銃の音に、’03年(イラク戦争が起こった年)の蜷川演出の「ペリクリーズ」を思い出して鳥肌が立った。今年はガザ攻撃で多くの民間人が殺された。
「・・雷が恐い・・」という娘のセリフが要。これによって観客は次の幕への心積もりができる。これがなければそのあとがあまりにも唐突で、ついて行けなくなる。
作者は最後をどう締めくくるか、迷ったのかも知れない。難しいところだ。途中までは破綻もなく、見せ場も多くて客席は大いに沸くだけに、終わり方が厄介だ。
最後に響き渡るパイプオルガンがいい。舞台装置も人々の心情世界も、言わば和の極みなのに、西洋音楽の極みとも言うべきオルガンの音色が、不思議なことに全く違和感がなかった。
キャスティングは万全。禅寺の和尚役の人もよかった。主役の二人にとってこの作品は、今後貴重なレパートリーになるだろう。
冒頭の音楽(宮川彬良)で、何だか大河ドラマを見ているような気分にさせられる。
舞台装置は寺の渡り廊下と清々しい竹林だけ、というシンプルな美しさ。そこにセミしぐれが降り注ぐ。これぞまさしく日本の夏だ。
鈴木杏は初めて観たが、声がいいし演技もできる。
白石加代子はいつも通り達者。こんな役者がいたら、誰だって当て書きしたくなるだろう。
藤原竜也も勿論うまいが、たまにセリフが聞き取れないことがある。
小栗旬は長身、白皙、絵に描いたような小次郎だ。
「カチカチ山の狸の(孝行な)遺児」という創作能!このアイディアがいい。時の将軍徳川秀忠(家光?)から書くように言われたという設定はエリザベス一世とフォールスタッフの逸話に想を得たのかも知れないが、なかなか面白い。
日本の人口が3000万人の時、侍が300万人というのは多過ぎやしないか。武士は一割もいたのだろうか。
二人の最後の決闘シーンで、切々と胸に迫ってくる音楽と機関銃の音に、’03年(イラク戦争が起こった年)の蜷川演出の「ペリクリーズ」を思い出して鳥肌が立った。今年はガザ攻撃で多くの民間人が殺された。
「・・雷が恐い・・」という娘のセリフが要。これによって観客は次の幕への心積もりができる。これがなければそのあとがあまりにも唐突で、ついて行けなくなる。
作者は最後をどう締めくくるか、迷ったのかも知れない。難しいところだ。途中までは破綻もなく、見せ場も多くて客席は大いに沸くだけに、終わり方が厄介だ。
最後に響き渡るパイプオルガンがいい。舞台装置も人々の心情世界も、言わば和の極みなのに、西洋音楽の極みとも言うべきオルガンの音色が、不思議なことに全く違和感がなかった。
キャスティングは万全。禅寺の和尚役の人もよかった。主役の二人にとってこの作品は、今後貴重なレパートリーになるだろう。