ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

オペラ「ウリッセの帰還」

2009-06-15 21:38:04 | オペラ
 6月7日、モンテヴェルディのオペラ「ウリッセの帰還」ヘンツェ版を観た(二期会、北とぴあさくらホール)。

 ヘンツェの編曲版は今回が日本初演だそうだが、そもそもイタリア語のウリッセが英語のユリシーズ、つまりギリシャ語のオデュッセウスのことだというのも今回初めて知ったくらいだから、モンテヴェルディの曲自体、私は聴いたことがなかった。

 古いオペラなのでやたらと長いが、当時の観客(聴衆)は皆、結末(ハッピーエンド)を知っていて、そこに至るまでの過程をゆったりと楽しんでいたのだろう。長さももっとずっと長かったらしいが、貴族階級の彼らにはそれでちょうどよかったのかも知れない。

 ウリッセの留守宅に押しかけ、妻に言い寄って困らせている男達は、彼の残した弓を引くことすらできない。そこに現れたウリッセは「弓とはこうして引くものだ」と言い放ち、男達を次々に射殺す。待ってました!と思わず声をかけたくなるシーンだ。この辺りの演出(高岸未朝)も洗練されていて美しい。
 
 夫の帰りを待って求婚者たちを拒否し続けるヒロイン、ペネロペは貞女の鑑だが、愛する夫がついに目の前に現れたというのに、かたくなに夫と認めない。目の前でその声を聞き、顔を見ているのに愛する人と分からない、というのは一体どういうことなのか。そう言えば「ペリクリーズ」でも、14年振りに再会した妻が証拠となる指輪を見せるシーンがある(第5幕第3場)。
 17世紀ヨーロッパの芝居の観客は、顔を見ただけでなく、本人しか知り得ないことを知っていると証言できた時、あるいは確かな物的証拠がある時、初めて本人と認めたのだろう。
 ペネロペの場合はさらに、長年求婚者たちの誘惑に負けまいと心を固く閉ざしていたために、状況の急激な変化に対応できなかった、という面もあるだろう。そのあたりの心理的葛藤は現代でも十分通じるものがあり、説得力がある。観客は皆、妻の心が溶ける瞬間を今か今かと待ち焦がれ、ついにその瞬間が訪れると、絵に描いたような大団円につい涙ぐんでしまう・・・。

 ウリッセ役の小林昭裕もペネロペ役の金子美香も、役柄にふさわしい威厳があり、声もよく、演技もよかった。 

 
 

 

コメント
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