7月2日世田谷パブリックシアターで、ロナルド・ハーウッド作「ドレッサー」をみた(演出:三谷幸喜)。
立ち見も出る盛況。
第2次世界大戦下の英国。とあるシェイクスピア劇団の楽屋では「サー」と呼ばれる老座長(橋爪功)が、折からの空襲と
戦時下の心労で心神喪失気味。座長夫人(秋山菜津子)やベテラン舞台監督(銀粉蝶)が公演中止を主張する中、長年「サー」に
献身的に仕えてきた付き人ノーマン(大泉洋)は、今夜の演目『リア王』を何とか開幕させようと奮闘するのだが・・。
思った通り演出家が脚本をかなりいじっているから、「翻案」とまではいかないが「上演台本:三谷幸喜」と書くべきだ。
そのいじり方には大いに文句あり。
①まず、『リア王』の芝居上演後、主役を演じた座長が客席に向かって挨拶するのはおかしい。他の演目ならともかく『リア王』の
後にそんなことするはずがないし、してほしくない。
②老いた座長はもう若い女性に手を出したりはしない。
③芝居上演前に、楽屋でクライマックスのシーン(コーディリアの遺体を抱いて登場する)をやってみせるのはなぜか。
意味不明かつ興ざめ。
他にも不満が多い。
座長夫人は何としてもふっくらしていないといけない。でないといくつものセリフが台無しになってしまう。
『夏の夜の夢』でヘレナ役の女優がのっぽでないといけないのも、『お気に召すまま』のロザリンドがシーリアより背が高くないといけないのも、
大前提の楽しい約束事だが、この作品でも同じこと。セリフに合わせてもらわないと困る。
日本初演の時、渡辺えりがこの役をやったのはその点ぴったりだったことだろう(残念ながら見ていない)。
もっと欲を言えば、若い頃ほっそりしていて中年になって太り出した女優がいい。
秋山菜津子も銀粉蝶も大好きな女優だが、今回は残念ながらどちらもミスキャストだった。
大泉洋はいつもながら切れ味のいい演技。付き人ノーマンは彼にぴったりの役だ。実に楽しげにやっていた。
橋爪功はもちろんうまいので安心して見ていられたが、好々爺然とした座長には戸惑いを覚えた。
この座長は自己中心的でいや~な性格の男なのだが、かなり「いい人」に変えられていて、ラストのノーマンのセリフと齟齬が生じてしまった。
毒気を抜かれた座長だ。全体に三谷ワールドらしく丸くなってしまった。
音楽はもっぱらバッハ。
美術(松井るみ)がいい。
三谷幸喜はもともと演出家ではなく劇作家だから、人の脚本をそのまま演出するだけでは足りず、ついあちこちいじってしまうのだろう。
立ち見も出る盛況。
第2次世界大戦下の英国。とあるシェイクスピア劇団の楽屋では「サー」と呼ばれる老座長(橋爪功)が、折からの空襲と
戦時下の心労で心神喪失気味。座長夫人(秋山菜津子)やベテラン舞台監督(銀粉蝶)が公演中止を主張する中、長年「サー」に
献身的に仕えてきた付き人ノーマン(大泉洋)は、今夜の演目『リア王』を何とか開幕させようと奮闘するのだが・・。
思った通り演出家が脚本をかなりいじっているから、「翻案」とまではいかないが「上演台本:三谷幸喜」と書くべきだ。
そのいじり方には大いに文句あり。
①まず、『リア王』の芝居上演後、主役を演じた座長が客席に向かって挨拶するのはおかしい。他の演目ならともかく『リア王』の
後にそんなことするはずがないし、してほしくない。
②老いた座長はもう若い女性に手を出したりはしない。
③芝居上演前に、楽屋でクライマックスのシーン(コーディリアの遺体を抱いて登場する)をやってみせるのはなぜか。
意味不明かつ興ざめ。
他にも不満が多い。
座長夫人は何としてもふっくらしていないといけない。でないといくつものセリフが台無しになってしまう。
『夏の夜の夢』でヘレナ役の女優がのっぽでないといけないのも、『お気に召すまま』のロザリンドがシーリアより背が高くないといけないのも、
大前提の楽しい約束事だが、この作品でも同じこと。セリフに合わせてもらわないと困る。
日本初演の時、渡辺えりがこの役をやったのはその点ぴったりだったことだろう(残念ながら見ていない)。
もっと欲を言えば、若い頃ほっそりしていて中年になって太り出した女優がいい。
秋山菜津子も銀粉蝶も大好きな女優だが、今回は残念ながらどちらもミスキャストだった。
大泉洋はいつもながら切れ味のいい演技。付き人ノーマンは彼にぴったりの役だ。実に楽しげにやっていた。
橋爪功はもちろんうまいので安心して見ていられたが、好々爺然とした座長には戸惑いを覚えた。
この座長は自己中心的でいや~な性格の男なのだが、かなり「いい人」に変えられていて、ラストのノーマンのセリフと齟齬が生じてしまった。
毒気を抜かれた座長だ。全体に三谷ワールドらしく丸くなってしまった。
音楽はもっぱらバッハ。
美術(松井るみ)がいい。
三谷幸喜はもともと演出家ではなく劇作家だから、人の脚本をそのまま演出するだけでは足りず、ついあちこちいじってしまうのだろう。