1月23日彩の国さいたま劇場で、シェイクスピア作「ハムレット」をみた(演出:蜷川幸雄)。
久しぶりに与野本町に来てびっくり。駅から劇場へと向かう道に点々とシェイクスピア劇のセリフが埋め込まれ、夜の闇の中に
下から明るく照らされているのだ!与野本町、あなどれん!ただ、誰がこれらのセリフを選んだのか知りたいし、誰の訳なのかも
ちょっと分からなかった。この小さな空間のために、ひょっとすると誰かが訳し直したのだろうか。
ハムレットが藤原竜也、叔父クローディアスが平幹二朗、母ガートルードが鳳蘭、オフィーリアが満島ひかり、という豪華な配役
を見た時には、これ以上ない布陣だと期待したのだが…。
中に入ると、舞台のセット(古い日本の長屋)の上に説明が日本語と英語で書かれている。これをそのままロンドン公演でも使う
のだろう。だがなぜこういう枠構造にする必要がある?
平幹二朗危ない!冒頭のスピーチで間違えた。何とか言い直したが、その後はハラハラ。
王妃ガートルード役の鳳蘭は息子ハムレットの名を呼ぶ時、最後のトの母音を英語風に飲み込むのはいただけない。日本語でやって
いるのだから、それに夫である王も他の人々もちゃんと「ト」と言っているのだから。あっそうか、ロンドン公演のために今から
英語圏の観客用の発音にしているのか。でもいやだ。
藤原くんは演技過剰。これほど情緒的で泣きぬれるハムレットは初めてみた。しかも元々さほど美声でもない上に力が入り過ぎて
声がつぶれ、セリフが聞き取りづらい箇所がたくさんある。演技はもちろんうまいし、絵になってはいるが。演技している自分を
もっと突き放して客観的にみることが必要だ。
ポローニアス役のたかお鷹は安心して見ていられるし、客席から笑いも取れて劇場内の雰囲気もよくなったが、必要以上に笑うのは
いただけない。特に息子レアティーズがフランスに出発する場面ではくだけ過ぎ。もっと威厳ある父親のはずだ。だからこそオフィ
ーリアは父の命令に従ってハムレットとの交際を断り、2人の関係は暗く複雑なものになってゆくのだから。
訳(河合祥一郎)が違うとこうも変わるものか。一神教の世界観が支配しているはずだが、神々というセリフが出てきて違和感があった。
ジャポニスム(声明・劇中劇にでかいひな壇出現等々)。
3幕3場、平幹二朗は半裸になって井戸の水をくみ、それを頭からかぶる!さすがに客席からアーッというどよめきが。次に細い布
で裸の背中を鞭打つ。これには驚いた。
オフィーリア役の満島ひかりも期待に反してパッとしなかった。まず正気と狂気の差が歴然としていないので面白くない。そこが
この役の見所なのに。
墓掘り1役の山谷初男も笑い過ぎ。せっかく観客を笑わせられるセリフを与えられているのだから、自分から笑ってはいけない。
奇妙なフォーティンブラス。青白くて長期入院患者のよう。全く意味不明。とても軍隊を率いる血気盛んな若武者には見えない。
奇をてらっているとしか思えない。蜷川さんは一体どうしたのだろうか。これをロンドンに持ってゆくのはやめてほしい。
総じてすべてに裏切られ、すべてが失望に終わった。
ところがまだその先があった。
1月29日の朝日新聞の夕刊に扇田昭彦氏の劇評が載った。
演出家への敬意を込め、言葉を選びながら褒めることのできる箇所を探して褒め、意見は穏やかに書き添えておられた。
本当に「文は人なり」だと改めてその人柄に打たれ、さすがはこの道のプロと感嘆した(評者などとは人間の出来が違うと)。
ところが翌日の同じ朝日の夕刊に、蜷川氏が自身のコラムで「きのう、朝日の夕刊に扇田昭彦氏の最低の劇評が出た」と書いている
ではないか。しかもその後は、久しぶりに現場に戻れて嬉しい…という話がダラダラ続くばかりで、何が「最低」なのかについて
全く触れていない。
これほど失礼なことがあるだろうか。演出家としてはもちろん、人間として道を踏み外しているのではないだろうか。
奇をてらっただけのフォーティンブラスについても恥ずかしげもなく手放しで自慢しているし、一体どうなってしまったのか、本当に
悲しい。
久しぶりに与野本町に来てびっくり。駅から劇場へと向かう道に点々とシェイクスピア劇のセリフが埋め込まれ、夜の闇の中に
下から明るく照らされているのだ!与野本町、あなどれん!ただ、誰がこれらのセリフを選んだのか知りたいし、誰の訳なのかも
ちょっと分からなかった。この小さな空間のために、ひょっとすると誰かが訳し直したのだろうか。
ハムレットが藤原竜也、叔父クローディアスが平幹二朗、母ガートルードが鳳蘭、オフィーリアが満島ひかり、という豪華な配役
を見た時には、これ以上ない布陣だと期待したのだが…。
中に入ると、舞台のセット(古い日本の長屋)の上に説明が日本語と英語で書かれている。これをそのままロンドン公演でも使う
のだろう。だがなぜこういう枠構造にする必要がある?
平幹二朗危ない!冒頭のスピーチで間違えた。何とか言い直したが、その後はハラハラ。
王妃ガートルード役の鳳蘭は息子ハムレットの名を呼ぶ時、最後のトの母音を英語風に飲み込むのはいただけない。日本語でやって
いるのだから、それに夫である王も他の人々もちゃんと「ト」と言っているのだから。あっそうか、ロンドン公演のために今から
英語圏の観客用の発音にしているのか。でもいやだ。
藤原くんは演技過剰。これほど情緒的で泣きぬれるハムレットは初めてみた。しかも元々さほど美声でもない上に力が入り過ぎて
声がつぶれ、セリフが聞き取りづらい箇所がたくさんある。演技はもちろんうまいし、絵になってはいるが。演技している自分を
もっと突き放して客観的にみることが必要だ。
ポローニアス役のたかお鷹は安心して見ていられるし、客席から笑いも取れて劇場内の雰囲気もよくなったが、必要以上に笑うのは
いただけない。特に息子レアティーズがフランスに出発する場面ではくだけ過ぎ。もっと威厳ある父親のはずだ。だからこそオフィ
ーリアは父の命令に従ってハムレットとの交際を断り、2人の関係は暗く複雑なものになってゆくのだから。
訳(河合祥一郎)が違うとこうも変わるものか。一神教の世界観が支配しているはずだが、神々というセリフが出てきて違和感があった。
ジャポニスム(声明・劇中劇にでかいひな壇出現等々)。
3幕3場、平幹二朗は半裸になって井戸の水をくみ、それを頭からかぶる!さすがに客席からアーッというどよめきが。次に細い布
で裸の背中を鞭打つ。これには驚いた。
オフィーリア役の満島ひかりも期待に反してパッとしなかった。まず正気と狂気の差が歴然としていないので面白くない。そこが
この役の見所なのに。
墓掘り1役の山谷初男も笑い過ぎ。せっかく観客を笑わせられるセリフを与えられているのだから、自分から笑ってはいけない。
奇妙なフォーティンブラス。青白くて長期入院患者のよう。全く意味不明。とても軍隊を率いる血気盛んな若武者には見えない。
奇をてらっているとしか思えない。蜷川さんは一体どうしたのだろうか。これをロンドンに持ってゆくのはやめてほしい。
総じてすべてに裏切られ、すべてが失望に終わった。
ところがまだその先があった。
1月29日の朝日新聞の夕刊に扇田昭彦氏の劇評が載った。
演出家への敬意を込め、言葉を選びながら褒めることのできる箇所を探して褒め、意見は穏やかに書き添えておられた。
本当に「文は人なり」だと改めてその人柄に打たれ、さすがはこの道のプロと感嘆した(評者などとは人間の出来が違うと)。
ところが翌日の同じ朝日の夕刊に、蜷川氏が自身のコラムで「きのう、朝日の夕刊に扇田昭彦氏の最低の劇評が出た」と書いている
ではないか。しかもその後は、久しぶりに現場に戻れて嬉しい…という話がダラダラ続くばかりで、何が「最低」なのかについて
全く触れていない。
これほど失礼なことがあるだろうか。演出家としてはもちろん、人間として道を踏み外しているのではないだろうか。
奇をてらっただけのフォーティンブラスについても恥ずかしげもなく手放しで自慢しているし、一体どうなってしまったのか、本当に
悲しい。