ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

「ジョー・エッグ」

2019-02-09 17:46:16 | 芝居
12月18日文学座アトリエで、ピーター・ニコルズ作「ジョー・エッグ」を見た(演出:西本由香)。
1967年初演。ニコルズの自伝的代表作の由。

1967年12月のある夜。すれ違いを抱える夫婦ブライとシーラ。二人は重い障害をもつ娘が生まれてからの出来事を、幾度となく
繰り返しているかのように芝居仕立てで再現していく。虚実の入り混じったやりとりの中から浮かび上がる、それぞれの思いと問いかけ。
いつもと変わらぬ夜が更けていくように思われたが、ブライが発した言葉を聞いた時、一同に戦慄が走るのだった・・・。(チラシより)

ブライ(ブライアン、沢田冬樹)は教師。妻シーラ(栗田桃子)はアマチュア劇団の団員。娘ジョー(平体まひろ)は10歳。
ジョーは車椅子に乗り、話すこともできず、意思の疎通も難しい。母親はかすかな表情の変化を見て彼女の気持ちを察するのみ。
ブライは、出産の時、医者がシーラに5日間も麻酔をかけたままにしたのが娘の障害の原因だと思っている。
最終的にジョーは鉗子で引っ張り出された。
シーラに対して医者や牧師が、いろんなたとえを使ってジョーの障害を説明する。
事柄の性質上当然のことだが、シーラは神に祈り、神がなぜこんな苦しみを自分たちに与えるのかと問い続ける。
だがブライはそれを快く思っていない。彼にとって神とは「躁うつ病のラグビー選手」のようなものだという。
気まぐれに人の運命を弄ぶという意味だろう。
人々は芝居中、時々客席に向かって自分の気持ちを語る。

先の見えないつらい日々をやり過ごすために、夫婦はお芝居をするようになる。ブライは真面目な話の途中、急に冗談を言ったり、
ふざけたり。彼らは猫たちを飼っていて、その結果、ノミもかなりいる・・・。

二人の友人フレディとパム夫妻が訪ねて来る。
フレディは理想主義的で、困っている人を見ると助けずにはいられない。
対照的に、パムはそもそも障害者に耐えられない。
フレディはブライたちに、ジョーを施設に入れること、そして二人目の子供を産むことを勧める。
そこにブライの母がやって来る。
可愛い孫娘にカーディガンを編んで持って来たのだった。
彼女はいい年をした息子ブライを未だに溺愛しており、その都度シーラはイラつく。
嫁姑問題は洋の東西を問わないらしい。

ラスト近く、ジョーが死んだと思ったみんなはあわてて「誰か鏡持ってない?」「羽根は?」と口々に言う。鏡か羽根を鼻先に近づければ、
鏡が曇ったり羽根が動いたりして、息をしていることが分かるからだ。
これはシェイクスピアの「リア王」からの引用。老いたリアは殺された末娘コーディリアがまだ生きているのではないか、とかすかな
希望を抱いて周りの人々にこう言うのだ。
さすがイギリス。というか、あの国では60年代でもまだこういうことが普通に行われていたのだろうか。
それともただの文学的な洒落、引っ掛けなのか。

ブライの母親役の寺田路恵が印象的。声が素晴らしい。
友人フレディ役の神野崇も好演。
その妻パム役の奥山美代子もいい味を出していた。
彼女は障害児を間近で見るのさえ、できることなら避けたいタイプ。
一刻も早く帰りたがってそわそわ。

現代なら医療事故として訴訟を起こすに違いない話だ。
「黒んぼ」など、今ではぎょっとするような差別用語が多く出て来て、時代を感じさせる。




コメント
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