ロビンの観劇日記

芝居やオペラの感想を書いています。シェイクスピアが何より好きです💖

チェーホフ作「かもめ」

2019-05-15 22:53:06 | 芝居
4月22日新国立劇場小劇場で、チェーホフ作「かもめ」を見た(演出:鈴木裕美)。

大女優アルカージナと愛人の小説家トリゴーリンが彼女の兄の領地に滞在している。彼女の息子トレープレフは恋人ニーナを主役にした芝居を上演する。
それを見たアルカージナは、ニーナに女優になるべきだと伝え、トリゴーリンに引き合わせるが・・・(チラシより)。

トム・ストッパードが原作を改変した英語台本を小川絵梨子が新たに訳した由。

まず役者についてだが、初めて6週間もかけて全配役をオーディションで選んだ、という割には、素人っぽい人が多くて驚いた。
まず冒頭のカップル。
教師メドヴェージェンコ役の人は軽過ぎ、動き過ぎ、笑い過ぎ。
マーシャ役の伊勢佳代は、常に同じ調子ででかい不快な声で叫ぶ。これじゃあコースチャ(トレープレフ)に嫌われても仕方ないか。
この人は何度も見たことがあり、これまでは好印象だったが。
なぜマーシャをやるとなると、日本人俳優は叫ぶ方向に行ってしまうのか。

医師ドールン役の人は唯一、それらしくてほっとした。
主役コースチャ役の人は若々しくて好感が持てるが、「演劇」という語のイントネーションが変で(頭にアクセントをつけている)耳障りだ。
ヒロイン・ニーナは騒々しくて軽い。これでは都会に憧れている、ただのガサツな娘だ。
辛い境遇にじっと耐えているのだから、もっと静かで穏やかな雰囲気がほしい。
同情すべき哀れな境遇なのだから。
それと、内に秘めた芯の強さが感じられるようにしてほしい。
アルカージナ役の朝海ひかるも、これまで何度も見たことのある好きな女優だが、演技がわざとらしく、期待外れだった。

演出は、所々工夫があって面白いが、このような役者たちを見る限り、作品世界をどう解釈しているのか、まったく不可解。
しかも肝心のところでつまづく。
劇の山場、ニーナがトリゴーリンのことを(あれだけの修羅場をくぐり抜けて来た後だというのに)まだ「愛しているわ」と述べるシーン。
彼女は叫ぶ。しかもトリゴーリンやアルカージナがいる部屋の方に向かって。
彼らに気づかれることを恐れているのに、そんなことをするはずがないだろう(ここは普通つぶやくところだ)。
そして一方のコースチャはというと、この彼女の言葉を聞いた瞬間、すべての希望を打ち砕かれたはずなのに、微笑みつつ彼女を見ている。
一体この男は何なんだ?
修行中のお坊さんのつもりなのか?
感情を表に表わさないことがいいことなのか?
もちろんここで彼が泣き叫んだりすることを観客は期待しているわけではない。目の前が真っ暗になったはずだから、それが客席に伝わるように工夫してほしいだけだ。
それが説得力ある演技というものだ。
彼の絶望を感じさせてほしい。
観客は彼と共に泣きたいのだ。彼と共にこの世の不条理(愛の不条理)を嘆きたいのだ。

初めて全役をオーディションで決めたというのに、これが現在の新国立劇場のレベルなのかと、愕然とした。
今後のことを思うと暗澹とした思いに駆られる。



コメント
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